2010年12月30日

 

初雪の天のひとひら手に掬ふ      由季

 

(はつゆきの てんのひとひら てにすくう)

 

 

 

2010年12月29日

水仙

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もう三日寝るとお正月ですね。

みなさま、いかがお過ごしですか。

 

私は昨日の杉並俳句講座で仕事納めでした。

(あまり仕事納めという感覚はないですけれど、一応・・・^^;)

私にとってはこれが今年最後の句会納め。

お休みの人もなく、華やかな句会になりました。

 

6か月講座も半分まで終わり、

忘年会を兼ねたお食事会を開いていただきました。

みなさま(特にりんごさん)、ありがとうございました。

また来年も頑張っていきましょう!!

初句会でお会いできますのを、楽しみにしています。

 

 

 

羽音もう聞こえぬ高み風邪心地     髙柳克弘

 

(はおともう きこえぬたかみ かぜごこち)

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 風邪心地というよりも、よくなったかと思うとまたぶり返す風邪に

困っていますが、風邪を引くといつも思い出す一句。

 

風邪の引き始めのだんだんと五感が遠のいていく感じと

薄れゆく羽音がよく響き合っているところがいい。

もっといいと思うところは「高み」としたところ。ここが巧い。

それによって、しっかりと映像として大空を羽ばたいてゆく

鳥の姿が見えてくる。聴覚のみでは鳥の姿が見えてこない。

「高み」という浮遊感覚も風邪心地の季語をより魅力的に生かしている。

空を見上げ、遠ざかりゆく鳥の姿を目で追いながら、どこか自分だけが

取り残されてしまったような気分。風邪心地にはそんな淋しささえも滲む。

 

2010年12月27日

 

数へ日の欠かしもならず義理ひとつ    富安風生

 

(かぞえびの かかしもならず ぎりひとつ)

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「数へ日」とは年内も残りわずかとなり、指折り数えるほどの日数となる頃のこと。

指折り、というのだから十日も切れば数え日といってもいいのだろうが、

実感としてはあと四、五日という頃だろう。年内に済ませておくことを

こなしつつ、新年を迎える用意も抜かりなく、という年の瀬の慌しい頃だ。

そういえば、「もういくつ寝るとお正月~」という歌があったけれど、

最近ではあまり聞いたことがない。この歌に歌われているお正月の風景は

もうどこか遠い世界のようだ。

歌の中では来る年を今か今かと心待ちにしながら残りの日数を数えているが、

「数へ日」のそれは、ゆく年を惜しむ感慨でもある。

 

特別に世話になった人なのだろう。年の瀬の慌しさの中、他のことは不義理を

しても、そのことだけは欠かすことなく続けている義理。

具体的なことは何も言ってはいないけれど、「義理ひとつ」には

世話になった方が亡くなったあとも、その奥様への歳暮のご挨拶は欠かさずに

伺う、というような義理を想像させる。それは日本人の心からだんだんと薄れて

いきつつある義理ではないか。それほどに「ひとつ」の一語は、作者の特別な

思いを感じさせるのである。

 

 

 

数え日

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今年も残すところあと4日。もう数え日です。

風邪もようやく落着いてきました。

残りの日数を大事に過ごしたいと思います。

 

今日は「海」の新年号をお届けする発送日。

それでは、これから行ってきます^^

 

 

2010年12月26日

 

寒禽の強く短く枝渡る   山田節子

 

(かんきんの つよくみじかく えだわたる)

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冬の清澄な大気を切るように、俊敏に動く冬の鳥。

冬はその寒さゆえか、野性に生きるものたちの命が

より一層輝いているように見える。

枝を渡りゆく姿にさえも心を奪われてしまうのは、

そこに光るものを感じたからだろう。

その光とは生きる強さといってもいい。

「強く短く」には寒禽の命そのものが詠みとめられている。

 

作者は「海」の大先輩。私が入会した頃に同人会長をされていたが、

間もなくして病に倒れ世を去られた。若輩ものの私をいつも優しく迎え入れて

くださったその穏やかなお顔が今でも浮んでくるが、俳句が大好きで、あとあと

聞いた話では、「俳句の鬼」と言われていたという。

一度も句座をともにしないうちに逝かれてしまったことが残念だ。

「俳句の鬼」。そんな風に言われる人はいくらも居ないだろう。

惜しい人を亡くしたものだと、今しみじみと思う。

 

 

 

 

2010年12月25日

メリークリスマス☆

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クリスマスの休日、みなさまいかがお過ごしですか?

 

私は・・・・風邪を引いてしまいました^^;

今日は暖かくして大人しく過ごします。

風邪が流行ってきているみたいですので、

みなさまどうぞ体調にはお気をつけください。

 

写真はちぎり絵で作った自作のクリスマスカードです。

みなさまどうぞ、よいクリスマスを ♪

 

I Wish Your Merry Christmas !!

 

 

 

2010年12月24日

 

イブの夜のイコンのごときカフェの窓      由季

 

 

 

 

2010年12月23日

 

かいつぶりさびしくなればくぐりけり    日野草城

 

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かいつぶりは鴨よりも小さな水鳥で、水面にもぐって小魚や蝦をとる。

湖や公園の池を眺めていると、ぱっと潜っては少し離れたところから

ぴょこんと顔を出すかいつぶりの愛らしい姿を見ることができる。

どこか得意気にも見えるその姿を、作者は「さびしくなればくぐりけり」という。

さびしさに耐えかねて潜る。まるで一人遊びをしているように。

夕暮れ時の人もまばらになった静かな湖の景が浮んでくる。

一句の思いは、かいつぶりに託された作者自身の心境だろう。

水面に潜るというかいつぶりの行為に、自分の中でしか解消しえない、

作者自身の心の内の寂しさが重なる。

 

 

2010年12月22日

 

動かして柚子湯の香りあらたまる      由季

 

 

 

冬至

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今日は冬至。日の短さもここに極まります。

「一日に畳の目一つ」という喩えがあるように、

冬至を境に立春にかけて少しずつ日脚が伸びていきます。

 

昨日は皆既月食だったのですね。そうとは知らず、満月だけを楽しみに

していましたが、東京はあいにくのお天気で見ることができませんでした。

 

夜は柚子湯。たくさんいただいたので待ちきれなくてすでに何回も

柚子湯にしていますが、今日が本番。夜はもちろん柚子湯です。

 

 

2010年12月21日

 

柚子風呂に妻をりて音小止みなし    飴山 實

 

(ゆずぶろに つまおりておとこやみなし)

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明日は冬至。二十四節気の一つで、昼の時間が一年で最も短い。

冬至の日には、無病息災を願って冬至南瓜を食べたり、柚子湯に入る。

湯舟に浮かぶ柚子の明るい黄色と湯気とともに立ち上がる清々しい香。

湯舟に浸かるだけで不思議と身が改まる心地がするものだ。

柚子湯というと、その香や色彩が詠まれがちだが、掲句は「小止みなし」

と音に注目して詠まれているところがいい。

少し長いお風呂で心配をしたのかもしれない。耳を澄ますとちゃぷちゃぷと

いう音が風呂場から聞こえてくる。その音は、柚子を動かしては香りを楽し

んでいる妻の姿を想像させる。「音小止みなし」にはその音を聞きながら

安堵している作者の姿が見えてくる。

そしてそんな妻の姿を愛おしく思うやさしい気持ちが同時に感じられるのである。

 

 

冬満月

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昨日の暮れ方の月。あたりに明るさが残る中でひときわ輝いて

空に浮んでいました。まだ低いところにかかっているので、

手のとどきそうなほど近く、大きな月。

満月かな、と思って調べてみたら今日が満月。

冬の月は冬三日月、冬満月、月冴ゆる、などの言い方があります。

冴ゆるというように、寒さに研ぎ澄まされたような輝きが本意ですが、

冬満月にはなぜか優しさを感じます。寒空の中の全き円というとこ

ろに、ほのとした安らぎを覚えるからかもしれません。

逆に三日月は冴え冴えとして冬月の極致という感じ。

切っ先が空に刺さるようで、見ているだけで一層寒さがつのります。

同じ満月でも寒さが厳しくなった頃の「寒満月」は違って、こちらには

私も冴え冴えとした冷たさを感じます。

「寒」という響きがそう思わせるのかもしれませんが、「寒満月」は

鏡面のようで、月自体の輝きもどこか違うような。喩えていてば

同じ円でも「寒満月」には触れたら怪我をしそうな光の鋭さがあるのです。

 

今日の夜空のお天気はどうなのでしょう。冬満月、きれいに見られるといいな。

 

 

 

 

2010年12月20日

 

此木戸や錠のさされて冬の月    其角

 

(このきどや じょうのさされて ふゆのつき)

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錠がさされて閉ざされた厚い城門。その上には皓皓と冬の月が照っている。

「此木戸や」のような上五の置き方は、現代の俳句ではあまり使われない。

そのもったいぶった感じにはむしろ新鮮なほどたっぷりとした諷詠がある。

「木戸」とは城門。

『去来抄』にこの句にまつわるエピソードが書かれている。

其角は下五を「冬の月」にするか「霜の月」にするか迷っていた。

そこで掲句を芭蕉に送り、その旨を書き添えたところ、文字が詰まっていたため、

芭蕉は「此木戸(このきど)」が「柴戸(しばのと)」と読めた。それゆえ、

其角ほどの人がどちらにしようかと思い煩うほどの句ではないとして

「柴戸や錠のさされて冬の月」として『猿蓑』に入集したが、あとあと「此木戸」で

あったことに気がつき、「柴戸にあらず、此木戸なり。かかる秀逸は一句も大切な

れば、たとえ出板に及ぶとも、いそぎ改むべし」と、大慌てで指示したという話。

芭蕉の読み間違えが発端なのだが、そのことによって言葉の斡旋で

秀逸と並ほどの違いが生じることが窺えて面白い。

大学時代にこの話を読んだ時は、さしてこの違いがピンとこなかったのだが、

今改めて見てみると、確かに大きく違うものだ。

「柴戸」では侘び住まいの庵の垣根に月が差しているという情景で、しみじみと

した情感は伝わってはくるが、ただそれだけの景色。

「此木戸」では固く閉ざされた城門が眼前に聳え、黒々とした城門とそれを

照らし出すかのように皓皓と差す月光との明暗が実に鮮やか。

しんしんとした静けさの中に、研ぎ澄ました冬月の輝きが際立って見えてくる。

垣根の錠と城門の錠を比べてみるだけでも、そのスケールの違いは顕著だ。

「霜の月」とすると、城やあたりに降りた霜が月光を反射して、より一層寒々

とした景になる。芭蕉と去来は「此木戸」であれば其角が下五を思い煩った

わけが納得いったのである。

そしてこの句、私も「冬の月」がいい。

「霜の月」では光が分散して焦点がぼやける感じがするし「霜」が少しうるさい。

高みから差し込むような「冬の月」だからこそ一句に静謐な風格を感じる。

 

 

 

発売しました

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日向猫です。

「俳句四季」1月号が発売しましたよ。

「海程」のホープ、田中亜美さんと一緒に載っています。

亜美さんは、人も素敵ですが、句も素敵。

胸がキュッとなるような超現実的世界を見せてくれます。

「海程」誌で兜太先生が絶賛していた

「息絶えし馬を焚火のごと囲む」という句、すごいですね。

どうしたらこんな句が降りてくるのでしょう。

 

「俳句四季」、読んでいただけると嬉しいです。

 

 

2010年12月19日

 

冬菫こゑを出さずに泣くことも      由季

 

(ふゆすみれ こえをださずに なくことも)

 

 

 

 

お知らせ♪

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「俳句研究年鑑2011」(角川SSC)の「年代別作品展望」

取り上げていただきました。

 

「小熊座」編集長の渡辺誠一郎氏が作品寸評を書いてくださっている

20代~30代作家の欄です。

作品批評、真摯に受け止めて来年の指針の参考にさせていただきます。

ありがとうございました。

 

 

2010年12月18日

 

うつくしき羽子板市や買はで過ぐ    高浜虚子

 

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東京では17日よりの3日間、浅草観音の境内で羽子板市が立つ。

そのずらりと並んだ絢爛豪華な光景はまさに

「羽子板市三日の栄華つくしけり 水原秋桜子」といった風情だ。

羽子板に描かれたとりどりの絵や装飾が実に美しく、

見ているだけでもおのずから華やいだ気分になる。

もともとは正月の遊びとしてつく羽子板を売る市で、羽子板には

「邪気を跳ね返る板」として女の子の成長を願う風習があるのだそうだ。

今では正月に羽子板をつく風習は廃れてしまったが、

年の瀬の最後に立つ市でもある羽子板市はたくさんの人でにぎわっている。

毎年、その年の世相を反映した羽子板が飾られて話題になっているが、

今年はさて、どんな羽子板が飾られていることだろう。

掲句は「買はで過ぐ」がいかにも羽子板市らしい。

見ているだけでなかなか買うところまでいかないのだ。

朝顔市、鬼灯市、熊手市、羽子板市、と市が立つたびに

訪れてはいるが、羽子板市だけは未だに買ったことがない。

 

 

 

2010年12月17日

水鳥

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水鳥を見ていると、ついつい時間を忘れてしまう。

空と水を行き交う水鳥は私にとって永遠にあこがれです。

 

今はもうなくなってしまいましたが、以前参加していた

同人誌「気球」に寄稿した一句鑑賞を転載しました。

少し長いですけれど、お読みいただけると嬉しいです。

「気球」を読んでいると俳句が好きという素直でかつ強い情熱が紙面から

伝わってきて、改めていい冊子だったなあと懐かしく読み返しています。

 

 

 

水鳥や別れ話は女より     鈴木真砂女

 

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男女の別れには、それを少しも予期していない別れと、

暗黙のうちに互いに覚悟をしている別れとがある。

前者は例えば、相手にほかに好意を持つ人が出来てしまった場合。

後者は例えば、そのまま関係を続けていくことに何らかの障害が

立ちはだかっている場合だろう。

この句の別れがどうであったか。

その答えはこの句の下五が語っている。

女性である作者があえて「女より」という。

そこからは、いつまでも今のままの変らない関係ではいられないことを

心の隅に置きながらも、逢瀬を重ねずにはいられない男女の姿が見えてくる。

男も女も、この恋愛が行き場のないものであることは、わかっているのだ。

そしてやがてはどちらかが言い出すのではないかと覚悟している別れ話で

あることも。だからこの別れは後者の別れ、と私は思う。

そして先に覚悟を決めたのは女の方であった。

「羅や人悲します恋をして」「死なうかと囁かれしは蛍の夜」

「蛍火や女の道をふみはづし」「すみれ野に罪あるごとく来て二人」

真砂女の残した恋愛句の数々は、どきりとさせられるものばかりだ。

波乱に満ちた人生の中、人を愛する情念というものに、

ある意味、素直に生きた人であったのだろう。

愛がなくなったがゆえの別れに未練はない。

そうではなく、道ならぬ恋に未練を残しながらも、別れることを決心する。

そんな真砂女に「〈身を引く〉という愛し方もあるものなのよ」ということを

教えられているような気もする。

さて、女が切り出した別れ話のゆくえは、どうなったのだろう。

しばらくつづく男の沈黙。

しんしんとあたりに降り積もる研ぎ澄まされた冬の寒さ。

二人の間に横たわる、切なきまでに張り詰めた静寂を、

水鳥の羽ばたきがときおり壊していく。

別れ話のゆくえ、ひいては二人のゆくえは今、

すべて男の言葉に委ねられたのである。

 

(同人誌「気球」2006冬号「由季の恋愛日和」より転載)

 

 

 

 

2010年12月16日

 

しんしんと寒さが楽し歩みゆく     星野立子

 

(しんしんとさむさがたのしあゆみゆく)

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しんしんと寒さの募る日には、この句を口ずさむと元気が出る。

寒さの中にいると、体が縮こまってくるけれど、

この句は背筋を伸ばしながら、颯爽と歩いていく感じだ。

乾いた風がびゅうびゅうと吹きつけてくる寒さではなく、

少し湿り気があって、身に吸いつくような冬の寒さ。

「しんしん」というあたりに、そんな寒さを感じさせる。

それにしても、「寒さが楽し」と素直に言ってしまうところがいい。

そして寒さが楽しいと言えることは、とっても素敵だ。

 

寒さを厭わず前を向いてしっかり歩いてゆく。

深読みする必要はないが、この句には立子の人生に対する

向き合い方が出ているように思う。

 

 

 

お知らせ♪

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月刊「俳句四季」1月号に作品8句が掲載されます。

1月号は12月20日発売です。書店でお求めできます。

 

見ていただけると嬉しいです。

 

 

2010年12月15日

 

クリスマスリースに灯り小鳥ほど      由季

 

(くりすますりーすにあかりことりほど)

 

 

 

 

 

ぼろ市

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冬晴れがまぶしいほどです。

今日、明日と世田谷のぼろ市。

さきほど、始まりの花火の音が聞こえてきました。

毎年12月と1月の15、16日に行なわれていて、

身動きが出来ないほどの人出で賑わいます。

今月はどちらも平日なので、比較的動きやすいかもしれませんね。

写真は去年ぼろ市で買った中国の人形のレプリカ。本物は

博物館にあります。レプリカですが、見ていると何だか癒されます。

 (後ろのしろくまも癒し置物ですが、ぼろ市購入じゃないです)

ガラクタだけじゃなくて、かなりお高い掘り出し物の骨董品も

たくさん来ています。見ているだけでも楽しいです。

句会の帰りにでもちょっと寄ってみようかな。

 

 

2010年12月14日

 

子の髪のつややかメリークリスマス     林 誠司

 

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クリスマスが近づくと必ず思い出す、大好きな句。

家族で過ごすクリスマスの夜、吾が子のつややかな髪に

作者の視線が注がれている。その子どもとは、まだサンタクロース

の存在を信じているくらいの年頃の子。

無邪気に父のもとに寄り来る、そんな子供の姿が見えてくる。

子供の髪は無垢でみな艶やかだが、団欒の灯や聖樹の灯に照らされて

まるで天使がいるかのように、より一層輝いて見えたことだろう。

「子の髪のつややか」にはまた、吾が子の健やかな成長を喜ぶ、

作者の親としての思いが籠められている。

この句を思うと、季語の取り合わせがいかに大切かということに気付く。

「子の髪のつややか」という表現をこれほどまでに魅力的に感じたのは、

「クリスマス」という季語で詠まれているからだ。

しかも「メリークリスマス」としたのは実に新鮮で、

「メリークリスマス!!」と言っている声が聞こえてくるかのよう。

 

くちずさむたびに、幸せと優しさがこの句からは溢れてくる。

 

 

クリスマス

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今日の午前は杉並の俳句講座。

冷たい雨が降っていたので、出席状況が少し心配でしたが、

みなさんきちんといらしてくださって、ありがとうございました。

 

高浜虚子の人と作品のお話、

短い時間では虚子について語りきれませんが、

まず始めは作品を通して、虚子の持つ様々な顔を

知っていただくことが出来ればいいと思っています。

虚子の魅力の一つは、その句柄の幅の広さです。

みなさんと作品を読んでいたら、、ドラえもんのポケットが

ふっと頭に浮んできました(^^)

「虚子の句ってドラえもんのポケットみたいだ」。

素敵なものがいろいろ出てくるのですが、

たまに変なものが出てくるところが特に似ているような気がします。

 

とにもかくにも、虚子は本当に大きいです。

さまざまなものを抱え込んで茫漠と広がっている宇宙のような大きさ。

また折に触れて、お話していければと思っています。

 

ミニ句会の兼題は「クリスマス」。

意外に難しくて、私も苦戦しました。

 

黒猫に紅きリボンやクリスマス   千楓

 

今日、いただいたうちの好きな一句。

黒猫の首輪に付いていた紅のリボン。

黒猫だけに、その紅色が一層際立って見えてきます。

その紅とクリスマスの明るさが響きあって、愛らしくも

この季節ならではの華やいだ気分を感じさせてくれる一句です。

 

 

2010年12月13日

 

寒禽の思ひ切るときかがやけり     由季

 

(かんきんの おもいきるとき かがやけり)

 

 

 

 

 

冬のお薦め

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東京はひさしぶりの雨。窓から見える景色が白々としています。

ここ最近は冬晴れつづきで、気温も温かでしたが、

一雨ごとに冬の寒さが増していきそうな予感がします。

過ごしやすいのは良いことですが、冬があまり暖かいのも心配になるので、

やはり適度に冬らしくなってもらわないと。

東京の冬は雪があまり降りませんが、雪が来る前の底冷えというか、

あのしんしんとつのり来る寒さが好きです。

でも、必ずお腹が痛くなる(^^;)こういう時の腹痛は母いわく「雪っ腹」と

言うらしく、腹痛を訴えてもあまり心配されません。私もいつものことなので、

「明日、雪だね」なんて言って合図になっていたりします。

東京に本格的に雪が降るのは春ごろですね。

 

〇「アヴェ・マリア名曲集」

〇フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの「田園」

〇マリアカラスの「トスカ」「マダムバタフライ」のアリア

 

最近、ヘビーローテーションで聴いているCD。

歌ものはどちらも、私の中では冬の寒いときに聴くのにお薦めです。

歌声と寒さが相俟って部屋の中が浄化される不思議な心地を味わえます。

フルトヴェングラーは今さらながら、その素晴らしさに圧倒されどおし。

彼が振ると「田園」は本当に「田園」なのです。これって本当にすごい。

アヴェ・マリアは個人的にはカッチーニ作曲のものが好きです。

マリアカラスの「トスカ」以外は比較的どれも癒し系ですので、

疲れた時にもお薦めですよ。

よろしければ、どうぞお試しください^^

 

 

 

2010年12月12日

 

何求めて冬帽行くや切通し     角川源義

 

(なにとめて ふゆぼうゆくや きりとおし)

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「切通し」とは、山や丘などを切り開いて、交通が出来るようにした道。

鎌倉の山を歩いていると、掘削のあとの岩肌がむき出しになっている

切通しに出合う。まわりの木々に日を遮られてどことなく暗くて、

一人で通るのはちょっと躊躇われるようなところもある。

その切通しをひとり行く人がいる。

何のためにこんなところを抜けていくのだろうか。

「冬帽」に象徴された人物の孤独を感じる句だ。

切通しを抜ける冷たい風をも感じる。

「何求めて冬帽行くや」と作者は言うけれど、作者もまた同じなのである。

作者自身の人知れぬ孤独がそう言わせたのであろう。

 

 

 

 

2010年12月11日

 

あはあはと日の通ひくる冬桜     由季

 

(あわあわと ひのかよいくる ふゆざくら)

 

 

 

お知らせ♪

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「俳句年鑑2011年版」の「年代別二〇一〇年の収穫」 に

取り上げていただきました!

小川軽舟氏による10代~30代作家の欄です。

ご覧いただけると嬉しいです。

 

 

 

2010年12月10日

 

神垣や奥拝まるる冬桜    野村喜舟

 

(かみがきや おくおがまるる ふゆざくら)

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神垣とは神社の周囲の垣のことで、神域を他と区別するためのもの。

仏像やキリスト像を拝むのとは異なり、神社のご神体は直接見て拝む

ことが出来ない。ご神体は目に触れぬところにあって、

そこに向かって人は拝む。

この句を読んで、わたしは伊勢神宮の内宮の光景が浮かんだ。

天照大神のいる神様の領域は高い塀が四方を巡っていて

見ることが出来ないが、皆、その見えない奥へ向かってしずかに目を閉じている。

その奥にいらっしゃるという神様の息吹を感じようとしているがごとくに。

冬桜は冬に咲く白色一重の小振りの桜。

最後に置かれた「冬桜」に、拝む人のこころのありようが見えてくるように思う。

 

 

 

 

 

紗希ちゃん

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今日も冬晴れの一日。

お昼を食べに出たついでに、豪徳寺を散歩してきました。

豪徳寺は彦根藩井伊家の菩提寺で、桜田門外の変で暗殺された

井伊直弼の墓所があります。(安政の大獄、映画やりますね)

それから、ここは招き猫発祥の地とも言われていて、

境内にはごらんの通り、招き猫がたくさん。

ここはご利益を得た招き猫を納めるところで、

隣には招猫観音が祀られています。

何でも、藩主の井伊直孝が寺の前を通りかかったところ、

門の中から自分を招く猫がいたそうです。招きにこたえて寺に入ると、

自分がさきほどまでいたところに雷が落ちて猫に命を拾われた、というお話。

それからは猫を大事にして祀っているのだそうです。

年末には我が家の招き猫も奉納しに行かなくちゃ。

 

帰ってきてHPを開いたら、びっくりするくらい急上昇のアクセス数。

あれあれ、招き猫のご利益?と思っていたら、

招き猫は神野紗希ちゃんでした^^

紗希ちゃんのブログで私のHPを紹介してくれたのです。

全然知らなくて驚きましたが、嬉しかったです。

ありがとう、紗希ちゃん ♪

紗希ちゃんのブログ「きつねの望遠鏡」

 

「海」には紗希ちゃんファンがたくさんいますよ。

私も昔からのお友達で鼻高々です。

初めて会った私のなかの記憶は、東大構内の吟行だったかなあ。

そのときの初々しくて弾けるような笑顔を今でも覚えていますよ。

あの日からもう10年くらい経ってるなんて、改めて思うと驚くね。

来年の座談会、同席できて光栄です。私も楽しみにしています。

 

 

 

2010年12月 9日

 

逢へば短日人しれず得ししづけさも    野澤節子

 

(あえばたんじつ ひとしれずえし しずけさも)

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「もう、結構な時間になりましたか」

「あら、ほんとう、外がすっかり暗く...。まだ時間は早いのに。」

「ほんとうだ、冬の日暮れは早いね。まあ、そろそろ、帰りましょうか」

 

冬の暮れの早さは、人との別れの時間を早くもさせる。

「逢へば短日」には、日の短さによる逢瀬の短さを物足りなく

思う切な心がある。本当はもっと一緒にいて話をしていたいのだ。

逢瀬の短さを惜しみつつ、その一方で感じている「しづけさ」。

この静けさは、逢えたことに感じる心のやすらぎ。

人知れずと言っているけれど、その人は他の誰でもなくその相手のことを

指しているのだろう。要するに一方的な恋心。尊敬する師との逢瀬というような

ことを想像させもする。もっと同じ時間を過したいという思いと、逢えただけで

心が満たされるという思い。二つの思いが葛藤しているようで切なくも胸に響く。

 

かにかくに逢へばやすらぐ花柚の香

 

この句も私の好きな節子の句。

「花柚」は夏。強い思いだけれど、それは少女のようなひたむきな思いで

あることをその香りが感じさせる。「逢へばやすらぐ」。この思いがとても

好きだ。

 

 

オアシス

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昨日吟行していた日比谷公園の噴水。

木々に囲まれたその周りは、ぐるりと高層ビル。

ここは本当に都会のオアシスですね。

広さも程よいですし。

日向のベンチや木々を見れば、猫たちの姿。

日だまりにいる猫ってこの上なく幸せそうで癒されます。

心地良さのためにはなんでもありな感じのところも。

「自分の心地良さを優先する」っていう猫が出てくるCMの文句が

ありましたけど、猫好きにはそこがたまらなく愛おしいんですよね。

 

昨日はジョンレノンの忌日でした。

私の印象ではこの日はいつも美しいほどの青空なんです。

レノンを想うと特別な青に見えるからでしょうか。

レノンがいなくなってから、30年。

レノンの歌声も、思いも色褪せることなく、

今でもわたしの心の深いところを満たして癒してくれます。

 

 

 

2010年12月 8日

 

 12月8日 ジョン・レノン凶弾に倒れる

空は青尽くしてゐたりレノンの忌      由季

 

 

 

 

 

富士山

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窓から見える富士山。

今日は冬空に映えてひときわ綺麗に見えます。

 

今日はこれから日比谷公園吟行です。

 

   

 

2010年12月 7日

 

冬菊のまとふはおのがひかりのみ    水原秋桜子

 

(ふゆぎくの まとうはおのが ひかりのみ)

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菊の花盛りは秋だが、冬になっても咲いているものを冬菊という。

秋のまばゆい光の中で輝きあうように咲いていた菊の姿とは違い、

枯れを深める景色の中で一つ、一つ静かに咲いている菊。

それも、小振りの菊の姿が見えてくる。

冬菊だけでなく、冬薔薇や冬菫、冬桜など「冬」を冠せられた花々はみな、

寒空の下で自らの力を頼りに咲いているように思える。

「ひかり」とはその自らの力をいっているのだろう。

輝くいのちの光。そこには静かな力がある。

けれども、「まとふはおのがひかりのみ」は他のどの花でもなく、

冬菊であるのがいい。

冬菊にある清浄な空気が、ひかりの質を儚さだけでない崇高なもの

へと導いているように思えるからだ。

冬菊の纏うひかりには、侵しがたい美しさが宿っているように思う。

 

 

 

2010年12月 6日

 

短日や凭れ傾く本の背   由季

 

(たんじつや もたれかたむく ほんのせな)

 

 

 

 

 

んがん句会

アンチヘブリンガン.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は神保町の「アンチヘブリンガン」でやっている

「んがん句会」にお邪魔してきました。

以前、日々の記に登場した食堂カフェのお店です。

しばらくしてからまた訪れたのですが、

オーナーが店の片隅で開いていた「歳時記」を

目ざとく見つけてしまったのです。

カフェで歳時記を開いている人に遭遇することって

ほとんどないですから、これはお声をかけねばと思って、

「俳句されるんですか~?」

「ええ、まあ仲間でちょっと」

「私も俳句やってるんですよ」

「え?お客さんでそういう方がいらしたのは初めて」

「明日も句会で~」

といった思いもよらぬご縁で、みなさんがやっている句会に

お招きいただいたのです。俳人は私ひとりでしたが、

メンバーはオーナー夫妻とお店の常連さんで、職業もさまざま。

(書店、出版社、作家さんなど本に携わる人が多いですね。)

みなさん素敵に個性的な方ばかりで、2時間ほどの句会で

お腹と喉が痛くなるくらい、たくさん笑わせられました^^

普段の自分の句会では味わえない面白さがありましたね。

ほんとは句会風景を撮りたかったのですが、そんなことで

すっかり忘れてしまって。

後ろの本棚の本は読むこともできて、お店のために作家が

書いてくれたサインや絵などもあったり、本好きの人には

たまらない場所です。

まだの方はぜひぜひ、行ってみてください。

 

また次回の句会が楽しみです。

今回の句会には居なかったのに

居るかのごとく名前の登場した話題のねぎさんにも会えるといいな。

 

 

 

 

2010年12月 4日

 

完璧なまでの省略大冬木   日下野仁美

 

(かんぺきなまでのしょうりゃく おおふゆき)

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好きな季節があるように、季語にも好みの季語というものがある。

私にとって「冬木」は気に入りの季語のひとつ。

「ふゆき」と口に出すだけで、言葉に宿っている詩が立ち現れて

くるようなところが好きだ。

 

葉を落として枝ばかりになった大樹。

そのシンプルな立ち姿を「省略」と捉えた。

省略というと不完全で中途半端な印象があるが、

冬木の場合はそれが完全形。

しかも「完璧なまでの」と駄目押しのように言ったところが

この句の面白さだ。枝を存分に広げて堂々と立つ

この上なく完璧な冬木の大樹が見えてくる。

 

 

2010年12月 3日

12月

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12月に入りましたね。しかも、もう3日も経ってしまった;

なんでしょう、この時間の過ぎ行く早さは。

今年も最後のひと月。

一年を振り返りつつ、などという余裕もなく、

年末進行で一週間早いスケジュールの海誌の編集などに

追われていて〝猫になりたい病〟が始まりそうです。

 

忙しい年末は体調管理が大切。

風邪、流行ってきているみたいですから、

みなさま、どうぞお気をつけください。(私も気をつけます。)

 

 

 

つなぎやれば馬も冬木のしづけさに     大野林火

 

(つなぎやれば うまもふゆきの しずけさに)

...........................................................................................

冬木の静けさ。しんと張り詰めたあたりの空気。冬木に繋がれた馬。

繋いだ馬の姿を冬木の佇まいの静かさと同質のものとして

捉えているところに惹かれる。

そして冬木と馬を結びつける「つなぎやれば」の一語にも。

「繋がれて」や「繋がれし」では馬も冬木もどこか遠い。

違いの魅力をうまく言えないのがもどかしいが、

「つなぎやれば」には、言葉の熱(温かさ)のようなものを感じるのだ。

それは作者の馬を見る視線の温かさに通じていて、

言外にそれを感じているからかもしれない。

 

 

 

2010年12月 2日

 

一対の冬木しづかに触れ合ひぬ    由季

 

(いっついのふゆき しずかにふれあいぬ)

 

 

 

2010年12月 1日

 

大空に伸び傾ける冬木かな     高浜虚子

 

(おおぞらに のびかたむける ふゆきかな)

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常緑樹でも落葉樹でも、冬の樹木を総称して冬木と言うが、

どちらかというと、葉を落として幹や枝々があらわになった

落葉樹の方が冬木というにふさわしい。

大空に広がるように枝を張る冬木。

冬の青空を背景に立つ大樹が見えてくる。

客観写生を説いた虚子。この句は一見、冬木のありようを

素直に言葉で写し取った客観写生のお手本のようであるが、

「傾ける」の一語には、ただの客観写生に終わらない奥行がある。

風景の奥に、人間の姿が見えてくる。もしかしたら虚子自身がそこに

投影されているのかもしれない。

客観の裏に隠された虚子の主観。

その奥義を虚子の言葉の斡旋の巧みさに見ることができるように思う。

 

 

出会い

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先日、詩人の野村喜和夫さんご夫妻と会食をしました。

奥様はフラメンコダンサーの野村眞里子さん。

野村さんとは「文藝春秋」の同じ号に作品を発表させていただくというご縁。

不思議なご縁で、ちょっと緊張しましたがフランスの話、文学の話に

素敵なひとときを過しました。

 

三茶の美味しいイタリアンを教えていただき、そこの名物という

とーっても長いソーセージ(1メートル注文)に驚き、

オマールエビのリングイーネにはほっぺたが落ちました。

トリュフとポルチーニのピッツァもいい香りだったなあ。

 

あっという間に時間が過ぎてしまいましたが、

野村さんの温かでどことなくチャーミングな魅力と、

眞里子さんの穏やかさの中に見え隠れする情熱みたいなものが印象的で、

タクシーに乗る二人を見送ったあとも、いつまでもその余韻が残りました。

 

 

 


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