水鳥や別れ話は女より 鈴木真砂女
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男女の別れには、それを少しも予期していない別れと、
暗黙のうちに互いに覚悟をしている別れとがある。
前者は例えば、相手にほかに好意を持つ人が出来てしまった場合。
後者は例えば、そのまま関係を続けていくことに何らかの障害が
立ちはだかっている場合だろう。
この句の別れがどうであったか。
その答えはこの句の下五が語っている。
女性である作者があえて「女より」という。
そこからは、いつまでも今のままの変らない関係ではいられないことを
心の隅に置きながらも、逢瀬を重ねずにはいられない男女の姿が見えてくる。
男も女も、この恋愛が行き場のないものであることは、わかっているのだ。
そしてやがてはどちらかが言い出すのではないかと覚悟している別れ話で
あることも。だからこの別れは後者の別れ、と私は思う。
そして先に覚悟を決めたのは女の方であった。
「羅や人悲します恋をして」「死なうかと囁かれしは蛍の夜」
「蛍火や女の道をふみはづし」「すみれ野に罪あるごとく来て二人」
真砂女の残した恋愛句の数々は、どきりとさせられるものばかりだ。
波乱に満ちた人生の中、人を愛する情念というものに、
ある意味、素直に生きた人であったのだろう。
愛がなくなったがゆえの別れに未練はない。
そうではなく、道ならぬ恋に未練を残しながらも、別れることを決心する。
そんな真砂女に「〈身を引く〉という愛し方もあるものなのよ」ということを
教えられているような気もする。
さて、女が切り出した別れ話のゆくえは、どうなったのだろう。
しばらくつづく男の沈黙。
しんしんとあたりに降り積もる研ぎ澄まされた冬の寒さ。
二人の間に横たわる、切なきまでに張り詰めた静寂を、
水鳥の羽ばたきがときおり壊していく。
別れ話のゆくえ、ひいては二人のゆくえは今、
すべて男の言葉に委ねられたのである。
(同人誌「気球」2006冬号「由季の恋愛日和」より転載)