九月来箸をつかんでまた生きる 橋本多佳子
(くがつくる はしをつかんで またいきる)
九月に入りました。仲秋の月ですね。
立秋をすぎても暑さが残っていて秋を感じるには
ほど遠いですが、九月に入るとようやく秋めいてきて、
日差しのやわらぎや風の軽さを肌で感じるようになります。
暑さで参っていた体もほっと一息つけそうです。
「箸をつかんでまた生きる」
箸を掴むとは、つまり物を食べるということ。
食べるということが生きる、つまり命につながっていることを強く思います。
この句は、その根源に触れながら、「また」の一語が「また頑張って生きよう」
と自らを励ましているようにも思えるのです。
心弱りをしていたり、病と向き合っていたり、
読む人の心のあり方によって、さまざまに心に響いてくる、そんな一句です。
折りしも9月1日は震災忌。大正12年に関東大震災の起こった日です。
多佳子自身はこの時すでに九州に嫁いでいて被災していないと思いますが、
句の背景とは別に、震災のことに思いを向けても、「また生きる」の一語には
胸に響いてくるものがあります。
どんなことがあっても、生きているものは死ぬまで頑張って生きていく。
結局、それしかないのだと思うのです。