buonasera e buongiorno
二、三時間眠っただろうか。目が覚めて部屋を出ると、ちょうど夕食の時間に。
あまり食欲はなかったけれど、中庭で一緒に食事をいただく。頭も体もまだ時
の流れについていけない。眠たさの中で食べた食後のジェラートが体に染みる
ようだった。
二日目、朝。空気がひやりとしていて、少し肌寒い。朝食を食べに行こう、と
言われてpapàと出かける。まだこの街の右も左もよく分からない私は
子供みたいに後を付いていく。通りへ出て少し歩くとcampo di fiori。
近くにあるカフェに入る。朝食はエスプレッソとコルネット(甘いクロワッサン)。
それからシリアル入りのヨーグルトを食べる。途中、papàの友達が合流。
彼女はオーストラリア人。ことの流れがよくわからないまま、出会いを楽しむ。
カフェを出て、三人で朝の街を歩く。彼女は食や建物の装飾に詳しい。
歩いていると、見覚えのある景色が目の前に開けた。すぐに壁にある表示をさがす。
間違いない。Via Giuliaだ。イタリアはすべての道に名前がついている。それがどんなに
小さな道でも。その名を知りたければ壁の表示を見ればいい。
「ローマの街には歩くだけで映画を見るように愉しかったり、感心したりする道が数えきれ
ないほどある。たとえばテヴェレ河に平行したヴィア・ジュリア。(中略)平坦でひたすら
まっすぐな道路にすぎない。それでいて、どこまでも歩いて行きたくなるような怪しい魅力
がある。歩いてみると、それほど長くない道で、三百メートルほど先で湾曲するテヴェレ河
に突き当たって、消滅していた」(「ふるえる手」須賀敦子著)
須賀敦子の書いたこの道をいつか歩いてみたいと思っていた。とくべつ探すでもなく出会え
たこの幸運が嬉しい。見覚えがあったのは、アーチから垂れ下がる蔦の姿が印象的だから
だろう。この風景は写真でいくたびも見てきた。須賀敦子が書いたように、アーチの先を少し
ゆくと道は途切れて、テヴェレ河に沿う道へ突き当たる。街路樹のプラタナス越しに、
サンタンジェロ城やサンピエトロ大聖堂のクーポラが見える。プラタナスはたくさんの実を
つけていた。一度、家に戻って、彼女とはまたお昼に会うことに。夜はオペラ座でバレエ
を観ることになっている。