2011年8月22日

 

落蝉の事切れし眼の澄みにけり      中本真人

 

(おちぜみの こときれしめの すみにけり)

 

 

落蝉は夏の季語だが、最近になってようやく落ちている

蝉を見るようになった。今年は鳴きはじめが遅かったので、

その分だけずれているのかもしれない。

 

昨日、玄関を開けたら、マンションの壁にとまって鳴いていた蝉が

落ちて「ジジジジッ」と羽を鳴らして玄関先でもがいていた。

「こんなところに落ちて」と不憫に思ったが、道路に落ちて車に轢かれて

いるのもいたから、それよりはマシだろうか。

帰宅する途中、朝の蝉のことを思い出した。 きっともう死んでしまっているなあ。

エレベーターを出て廊下を歩いていくと、玄関先に小さな影があった。

蝉はすっかり事切れて、仰向けになっていた。白くなった腹がやけに目についた。

 

落蝉はその一生と重ねるゆえか、見る人の哀れを誘う。

掲句はそこをさらりと詠んでいるが、実際の落蝉を見て

「眼の澄みにけり」とは言えそうでいてなかなか言えるものではない。

命を全うした蝉に潔さを感じたからこそ、「澄む」の一語が出てきたのだろう。

 

 


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