落蝉の事切れし眼の澄みにけり 中本真人
(おちぜみの こときれしめの すみにけり)
落蝉は夏の季語だが、最近になってようやく落ちている
蝉を見るようになった。今年は鳴きはじめが遅かったので、
その分だけずれているのかもしれない。
昨日、玄関を開けたら、マンションの壁にとまって鳴いていた蝉が
落ちて「ジジジジッ」と羽を鳴らして玄関先でもがいていた。
「こんなところに落ちて」と不憫に思ったが、道路に落ちて車に轢かれて
いるのもいたから、それよりはマシだろうか。
帰宅する途中、朝の蝉のことを思い出した。 きっともう死んでしまっているなあ。
エレベーターを出て廊下を歩いていくと、玄関先に小さな影があった。
蝉はすっかり事切れて、仰向けになっていた。白くなった腹がやけに目についた。
落蝉はその一生と重ねるゆえか、見る人の哀れを誘う。
掲句はそこをさらりと詠んでいるが、実際の落蝉を見て
「眼の澄みにけり」とは言えそうでいてなかなか言えるものではない。
命を全うした蝉に潔さを感じたからこそ、「澄む」の一語が出てきたのだろう。