むさしのの空真青なる落葉かな 水原秋桜子
(むさしのの そらまさおなる おちばかな)
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「画や歌でばかり想像している武蔵野を
その俤ばかりでも見たいものとは自分ばかりの願いではあるまい」
これは国木田独歩の小説『武蔵野』の中の一文。
武蔵野というと、私は井の頭公園や三鷹のあたりを
思い浮かべる。それは武蔵野イコール雑木林という
イメージがあるからだ。
独歩の言う「武蔵野をその俤ばかりでも」というのは
実は雑木林になる以前の、萱や芒が一面に広がる
荒涼たる野原だったころの武蔵野であるという。
武蔵野の俤は、時代によって違うようだ。
秋桜子の「むさしの」はもう雑木林になった武蔵野の景。
落葉して木々の間に見えた武蔵野の青空を詠んでいるのだろう。
開発とともに消えてゆく武蔵野の景が少しでも多くこれからも残って
いてほしいものだ。