夢の旅
旅には夢見る旅と余儀ない旅がある
沢木耕太郎
昨日行ってきたホテルオークラでの沢木耕太郎氏講演会で
印象的だった言葉です。
沢木氏は、世界中で僕には行ってみたいと思うところが
もうほとんどないような気がすると言っていました。
余儀ない旅はあっても、夢見る旅はおそらくたいていをし尽くして
しまったという意味だと思います。
余儀ない旅とは、簡単に言えば仕事の旅。
夢見る旅とは、他者の都合に合わせず、自分の思うままにする旅。
夏だったか、オックスフォードに在籍している友人の息子さんに会いに
行って大学寮のゲストルームに滞在し、談話室で学生達に混ざって
よく聞き取れない英語に耳を傾けながら語り合っているときに、
「こういう旅はもうこれが最後かもしれないなぁ」とふと思った、とも言っていました。
夢は思い描いているうちが夢で、
それがかなって継続的になってしまうと夢でなくなってしまう。
余儀ない旅もおそらくもともとは夢の旅だったはず。
でも余儀ない旅があるからこそ、また新たな夢の旅に発てるような・・・。
冒頭の言葉には私なりに考えさせられるものがありました。
「旅」を仕事や趣味や生活に置き換えてみてもいいかもしれません。
それぞれに思うところがあるのではないでしょうか。