2011年3月27日

バルカン動物園

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東大駒場キャンパスに咲いていた白木蓮。

 

こまばアゴラ劇場にて、平田オリザ作・演出の

「バルカン動物園」を見てきました。

この演目が平田さんの劇団の若手で演じられる

のは十年ぶりになるそうです。

 

時代の最先端をゆく若い科学者たちのお話。

最先端の現場にいるがゆえの苦悩や葛藤が

さまざまな会話を通して、じわじわと伝わってくる。

脳科学を学び、人工知能を作れるほどに技術は進化しているのに、

人間としては悲しくなるほど不器用。でも、だからこそそこにいろんな

意味での「救い」を見るような思いがしました。

 

平田さんの舞台の特徴の「同時多発会話」は私にとってはまったく

抵抗がなくて、むしろなんてリアルな描き方なんだろうと興味深かったです。

大学時代、心理学の講義で学んだ「図と地」というのを思い出しました。

意識が向いた方が「図」。それ以外はすべて「地」。

たとえば電車の中で友達とのおしゃべりに夢中になっているときは

会話が「図」でその他の物音はすべて「地」になりますが、降りる駅を

聞きもらさないように車内放送に集中して耳を傾けている時は車掌の

アナウンスが「図」でその他は「地」になります。つまり、「地」は背景となるもの。

ルビンの壺もどちらを見るかによって、見える図が変わってくるというように。

この舞台でも、すべての会話に観客として同時に耳を傾けることはできない

けれど、「図」を自分で選びながら進行していくストーリーを追っていくところが

面白いのです。

スポットライトが一つなんて、日常にはないですものね。

 

肉体は失われて脳だけが保存されている科学者(しかも素晴らしく有能という

設定で遺言によって脳だけを保存することを希望している)が話の中に出てくる

のですが、遺言の中に「脳のもっとも素晴らしい機能は神の存在を信じること、

祈ること」という言葉が出てきました。

科学の先端をゆく人の言葉としてこのことが語られたことが私はとても心に残りました。

宗教と科学は互いに相容れない歴史がありますが、神の領域と言われている

ところに踏み込みながらも、究極のところで神の存在を肯うことができるのは

とても強いなと。

真実を突くものが会話の中にたくさん散りばめられていて、一度見ただけでは

とても拾いきれませんでしたが、今は掬えた少しの欠片が胸の中で響いています。

 

 

 

 

 


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