2011年3月 1日

CHURYOふたたび

 

絶えず〈眼と心と技術〉の訓練をすることです。

彫刻家は一個の像の中に表現のための〈空間〉と〈時間〉

をできうる限りつめこまねばならない宿命を持たされていて、

それには高度な精神と技術が必要になってくるからです。

                          ―佐藤忠良―

 

 

展示作品の傍らに掛けられてあった忠良の言葉。

はっと思って書き留めました。

〈彫刻家〉を〈俳人〉に置き換えて、自分の中に瞬時に響くものが

あったからです。俳句の場合は〈できうる限りつめこまねば〉という

あたりがニュアンスが違って、省略だったりしますけれど、

でも定型の中へ凝縮する、ということと同義かなと思いつつ、

何よりも「絶えず〈眼と心と技術〉を訓練すること」という言葉に

身を正される思いがしました。まさに俳句も同じ。

そうでなければ、人を惹き付ける作品は生まれないということを

強く思います。

私は俳句は書くものではなく、詠うものだと思っているのですが、

それでもやはり〈技術〉は必要なのです。

絶えず訓練するというのはかなり大変なことです。

適当なところで妥協してしまいがちですから。

でもこうあらねばいけないと、改めて思っています。

 

 


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