天地のあいだにほろと時雨かな 高濱虚子
(あめつちの あいだにほろと しぐれかな)
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虚子が捉えた時雨。
時雨の降りざまを詠みながら、その裏に人生を感じさせる
ところが虚子のすごさだ。
客観写生を説いた虚子だが、写生の奥にはいつも
深い意味が隠されている。
表面だけ味わっていては、虚子の本当のすごさはわからない。
俳句ですべてを捉えようとした稀有の一人だと思う。
俳句の歴史は「芭蕉の百年後に虚子という人がいました」
となる、と先日の句会で師が話していたが、本当にそうだろう。
芭蕉も虚子も他の俳人には無い、底知れぬ深さがある。