十棹とはあらぬ渡しや水の秋 松本たかし
(とさおとは あらぬわたしや みずのあき)
「秋の水」は秋に重点があるが、
「水の秋」の重点は水。
どちらも澄んだ水に秋を感じているが、ニュアンスの違いがある。
前者は澄み渡った秋の清らかな水そのもので、
後者は清涼感溢れる水や水辺から感じる秋の風情。
大景から小景へと、小景から大景への視野の移行に違いを感じる。
この句は断然「水の秋」。
「秋の水」では川辺の風情が消えてしまう。
「十棹とはあらぬ渡し」がなんとも上手い。
舟頭が棹で川底を突きつつ舟を進めるが、十も突かぬほどで向こう岸に
ついてしまうほど川幅がせまいという、そんな渡しの情景を無駄なく
簡潔に表現している。表現にまで爽やかさを感じる句だ。
さわさわと川辺に揺れる芒や荻、水のきらめき、清涼な風。
舟上で感じた秋があますことなく詠まれている。