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2011年1月18日

 

冬薔薇の咲くほかはなく咲きにけり   日野草城

                                     『人生の午後』

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句集『人生の午後』は昭和28年に刊行された第7句集。

31年に54歳で亡くなった草城晩年の作品が並んでいる。

21年に病に倒れてから、亡くなるまでの満10年間、ほとんど寝たきりの生活

であったから、この句集も病床で詠まれたものだ。

あたりのものが次第に枯れ色を強めていく中で、凛と咲いている冬薔薇。

寒さに凍えるような時でも、薔薇は薔薇として、咲かなければならない。

それが与えられた生をまっとうできる、唯一のことであるかのように。

冬薔薇に投影された草城の志が一句を貫いている。

10代で「ホトトギス」雑詠に入選し、20歳で巻頭をとり、また23歳の若さで

「ホトトギス」課題句選者に推されるという、他に例を見ない躍進をした草城の

スタートはまさに順風満帆であった。

 

春の夜やレモンに触るる鼻のさき

春の灯や女は持たぬのどぼとけ

 

などの垢抜けた表現や、艶のある句を詠んだ草城の新しさには右に出るもが

いなかったであろうし、物議を醸した「ミヤコホテル」の連作も、その軽い甘さには、

現代の感覚に通じるものがある。けれども、戦争という時代の波は容赦なく襲いかかり、

次第に高まっていく言論弾圧の風潮の中で、華々しかった俳句人生の中断を余儀なく

された。

約4年の空白を経て再び俳壇へ戻ってきたのは昭和21年。

草城の再スタートは病に倒れた年でもあった。

 

切干やいのちの限り妻の恩

初咳といへばめでたくきこえけり

見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く

 

 『人生の午後』に収められたこれらの句には、かつての草城が見せた華やかな世界

は無い。病に臥し、職を失った清貧のくらしの中で、かつての華やかさと引き換えに

得たものは、あるがままの自分を詠むことだったのだと思う。

病臥の10年は、新しい草城を生み出した。そして死の間際まで俳句を詠みつづけた

という草城の生き方に、冒頭の句の潔さが重なるのである。

 

                          同人誌「気球」2006号(終刊号)より転載

 

 

 

 

 

 

 

                              

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