旅客機閉す秋風のアラブ服が最後 飯島晴子
(りょかくきとざす あきかぜの あらぶふくがさいご)
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この句から見えてくる映像の余韻と音の響きをただ味わう。意味を求めては
いけない句だなとこの句をくちずさむたびに思う。
私が思い描くのは、砂漠の砂がときおり風にはこばれてくるような場所。
旅客機にはタラップが掛かっていて、今まさに最後の一人が旅客機に乗り込もうと
している。風に吹かれて白くたなびくアラブ服。中に入る手前で一瞬振り返ったような、
そんな時間の溜めをも想像する。そしてたなびくアラブ服の余韻を秋風に残しながら
吸い込まれるように中へと消えてゆく。ゆっくりと閉じていく重い扉。
女性の着る黒いアラブ服を想像するとまた違う余韻があってそれも魅力的だが、
白を想像すると秋風のもつ白という色とも通い合う。
何回読んでも秋風でアラブ服で最後でなければ出てこない特別な余韻がある。
この句が意味ではなく人をひきつけるもう一つの理由は音の響き。
飯島晴子という人の細部にまでこだわりを見せるその職人のような目をそこに見る。
旅客機、閉す、秋風、アラブ服、最後。
「あ」の音が一句を貫くように響く。意味ではなく音を意識することが韻文にとっていかに
大事かということを改めて気がつかせてくれる。