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2010年11月 1日

 

夢殿の夢の天まで澄みにけり     林  誠司

 

(ゆめどのの ゆめのてんまで すみにけり)

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夢殿は法隆寺東院の本堂。行信僧都が聖徳太子の遺徳を偲び天平11年(739年)に

斑鳩宮跡に建てた八角円堂で中の厨子には聖徳太子等身と伝えられる秘仏救世観音

がおさめられている。

飛鳥時代、そのあたりは聖徳太子の寝殿があって、その傍に建てられた堂は聖徳太子

が経典を写したり、幾日も籠って瞑想をしたりと、禅定して夢に入られる聖なる場所で

あったという。

そこは聖徳太子が世をよくするためにどうしたらいいかを考え、よりよい世界を作る夢を

見る場所であったのだ。当時の夢殿は焼失してしまったが、聖徳太子の等身を本尊と

する夢殿には聖徳太子の夢がいまでも息づいているように思う。

夢殿とは聖徳太子の夢そのもの。その夢の天まで澄んでいるというところに、

悠久の時を超えてその夢に思いを馳せる作者のロマンがある。

 

 

2010年10月29日

 

思ひあふれて空澄めり水澄めり    黛 まどか

 

(おもいあふれて そらすめり みずすめり)

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空が澄んで、水が澄む。秋の天地はとても大きくて、すみずみまで澄み渡って

ゆくような心地がする。そんな秋の気に触れて今思いがあふれる。

泉のように湧き上げてくる思い。どんな思いがあふれたのだろう。

その思いがどこか喜びのように思えるのは、「空澄めり」「水澄めり」という秋という

季節への讃歌を句の底に感じるからかもしれない。

「あふれ」、「澄めり」という動から静への言葉の連なりにも清潔なものがある。

 

 

2010年10月 8日

 

澄む水と揺れをひとつにしてゐたり   由季

 

(すむみずと ゆれをひとつに していたり)

 

 

 

2010年10月 8日

 

十棹とはあらぬ渡しや水の秋    松本たかし

       

 (とさおとは あらぬわたしや みずのあき)

 

「秋の水」は秋に重点があるが、

「水の秋」の重点は水。

どちらも澄んだ水に秋を感じているが、ニュアンスの違いがある。

 

前者は澄み渡った秋の清らかな水そのもので、

後者は清涼感溢れる水や水辺から感じる秋の風情。

大景から小景へと、小景から大景への視野の移行に違いを感じる。

 

この句は断然「水の秋」。

「秋の水」では川辺の風情が消えてしまう。

 

「十棹とはあらぬ渡し」がなんとも上手い。

舟頭が棹で川底を突きつつ舟を進めるが、十も突かぬほどで向こう岸に

ついてしまうほど川幅がせまいという、そんな渡しの情景を無駄なく

簡潔に表現している。表現にまで爽やかさを感じる句だ。

さわさわと川辺に揺れる芒や荻、水のきらめき、清涼な風。

舟上で感じた秋があますことなく詠まれている。

 

 

2010年10月 7日

 

秋の水ひかりの底を流れをり   井越芳子

 

(あきのみず ひかりのそこを ながれおり) 

 

秋になると、大気だけでなく次第に水も澄んでゆく。

川や池や湖。 泳ぐ魚影まではっきりと見える。

 

実景としてはこの秋の水は川だと思う。

清らかで滑らかな秋の川。澄んだ水が川底まで光を通している。

 

秋はひかり。

実景から目を離せば、秋そのものの底を流れてゆく水。

そんな静かな光の流れを感じる。

 

 


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