2011年4月26日

 

桜蘂ふる一生が見えてきて      岡本 眸

 

(さくらしべふる いっしょうがみえてきて)

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もう葉桜となった木々もあるが、遅咲きの花は今はらはらと紅の蘂を降らせている。

この頃になると、いつもこの句を思い出す。

「一生が見えてきて」とはどういう情景だろう。

作者がいつの歳に詠まれたのかは知らないのだが、

20代の頃の私は、恐らくある程度年を重ねた人の感慨なのだと思っていた。

一生が見えてくるなんて、簡単には言えないように思えたからだ。

30代の今、この句はまた違って見えてくるようになった。そしてとても共感を覚える。

まさに自分の向き合っている年齢での感慨なのではないかと思えるのだ。

桜の木の一生を人生と重ね合わせても、桜蘂の降る頃は晩年ではない。

満開の花の頃を過ぎて、あまり美しいとは言えない桜蘂の頃の翳り。

葉桜となればまた新たな命が動き出すかのようにまぶしい季節が訪れる、

その束の間の季節の憂いがあの一語を引き出したのではないか。

夢見る季節は過ぎてしまった。

一生が見えないということは不安だが、見えてしまうということはもっと淋しい。

 

さくらしべ降る歳月の上にかな   草間時彦

この句は佇む作者の年輪を感じさせる。

どちらにしても、「桜蘂降る」という季語は「桜」とはまた違う歳月を呼び起こすようだ。

 

 

 


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