2010年12月20日

 

此木戸や錠のさされて冬の月    其角

 

(このきどや じょうのさされて ふゆのつき)

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錠がさされて閉ざされた厚い城門。その上には皓皓と冬の月が照っている。

「此木戸や」のような上五の置き方は、現代の俳句ではあまり使われない。

そのもったいぶった感じにはむしろ新鮮なほどたっぷりとした諷詠がある。

「木戸」とは城門。

『去来抄』にこの句にまつわるエピソードが書かれている。

其角は下五を「冬の月」にするか「霜の月」にするか迷っていた。

そこで掲句を芭蕉に送り、その旨を書き添えたところ、文字が詰まっていたため、

芭蕉は「此木戸(このきど)」が「柴戸(しばのと)」と読めた。それゆえ、

其角ほどの人がどちらにしようかと思い煩うほどの句ではないとして

「柴戸や錠のさされて冬の月」として『猿蓑』に入集したが、あとあと「此木戸」で

あったことに気がつき、「柴戸にあらず、此木戸なり。かかる秀逸は一句も大切な

れば、たとえ出板に及ぶとも、いそぎ改むべし」と、大慌てで指示したという話。

芭蕉の読み間違えが発端なのだが、そのことによって言葉の斡旋で

秀逸と並ほどの違いが生じることが窺えて面白い。

大学時代にこの話を読んだ時は、さしてこの違いがピンとこなかったのだが、

今改めて見てみると、確かに大きく違うものだ。

「柴戸」では侘び住まいの庵の垣根に月が差しているという情景で、しみじみと

した情感は伝わってはくるが、ただそれだけの景色。

「此木戸」では固く閉ざされた城門が眼前に聳え、黒々とした城門とそれを

照らし出すかのように皓皓と差す月光との明暗が実に鮮やか。

しんしんとした静けさの中に、研ぎ澄ました冬月の輝きが際立って見えてくる。

垣根の錠と城門の錠を比べてみるだけでも、そのスケールの違いは顕著だ。

「霜の月」とすると、城やあたりに降りた霜が月光を反射して、より一層寒々

とした景になる。芭蕉と去来は「此木戸」であれば其角が下五を思い煩った

わけが納得いったのである。

そしてこの句、私も「冬の月」がいい。

「霜の月」では光が分散して焦点がぼやける感じがするし「霜」が少しうるさい。

高みから差し込むような「冬の月」だからこそ一句に静謐な風格を感じる。

 

 

 


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