2010年10月31日

台風のあとは津波

写真 ブログ 474.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

昨夜の台風の雨風もおさまって、今日は少しずつお天気回復しそうです。

台風のあとは津波

たてつづけに自然災害のようですが、津波は津波でも津波句会です。

正しくはTSUNAMI句会でサザンの歌と一緒。

(というか代表の林誠司さんがサザン好きなのでここからとってます^^)

 

もうそろそ出かけなくては。

それでは、句会行ってきまーす!!

 

 

 

 

旅客機閉す秋風のアラブ服が最後    飯島晴子

 

(りょかくきとざす あきかぜの あらぶふくがさいご)

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この句から見えてくる映像の余韻と音の響きをただ味わう。意味を求めては

いけない句だなとこの句をくちずさむたびに思う。

私が思い描くのは、砂漠の砂がときおり風にはこばれてくるような場所。

旅客機にはタラップが掛かっていて、今まさに最後の一人が旅客機に乗り込もうと

している。風に吹かれて白くたなびくアラブ服。中に入る手前で一瞬振り返ったような、

そんな時間の溜めをも想像する。そしてたなびくアラブ服の余韻を秋風に残しながら

吸い込まれるように中へと消えてゆく。ゆっくりと閉じていく重い扉。

女性の着る黒いアラブ服を想像するとまた違う余韻があってそれも魅力的だが、

白を想像すると秋風のもつ白という色とも通い合う。

何回読んでも秋風でアラブ服で最後でなければ出てこない特別な余韻がある。

この句が意味ではなく人をひきつけるもう一つの理由は音の響き。

飯島晴子という人の細部にまでこだわりを見せるその職人のような目をそこに見る。

旅客機、閉す、秋風、アラブ服、最後。

「あ」の音が一句を貫くように響く。意味ではなく音を意識することが韻文にとっていかに

大事かということを改めて気がつかせてくれる。

 

 

2010年10月30日

 

ひかり飛ぶものあまたゐて末枯るる   水原秋桜子

 

(ひかりとぶものあまたいて うらがるる)

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「末枯れ」は晩秋になって草木が葉先や枝先から枯れ始めることをいう。

「末(うら)」とは端とか末という意味で、草木の先端のことを指しているのだが、

何かこの「うら」という響き自体に、すでに秋の終りの物淋しさを感じてしまうのは、

「心淋しい(うらさびしい)」という音の響きをそこに重ねてしまうからだろうか。

鳥の渡りや草木の枯れに見る季節の移り変わりに、人々は古来より心を動かされてきた。

ひかり飛ぶものとは秋になって山から降りてきた小鳥たちや渡りの鳥たちの姿だろう。

「ひかり」と「枯れ」。対比するかのように置かれている言葉に実はどちらのいのちの

かがやきをも詠みとめられていることに気づく。

草木にとって枯れることは冬を迎えるための準備。そこにも見えない力が光っている。

 

 

2010年10月29日

祝1ヶ月♪

蝶 秩父.jpg 

 

 

 

 

 

 

 

サイトをオープンしてから今日でちょうど1ヶ月が経ちました。

訪れてくださった方々、ありがとうございます。

 

まだまだ試行錯誤の日々ですが、思い描いていることをこの場所で少しずつ形に

していけたらと思っていますので、これからも応援していただけると嬉しいです。

 

☆「季のうた」 毎日更新中☆

季節の移ろい、日々の移ろい。目を向けなければ気づかずに過ぎてしまいそうな

ささやかなことが俳句にはたくさん切り取られています。そしてそのたった17音で

切り取られた世界は、はかり知れないほどの深くて豊かなものを時に与えてくれます。

紹介する俳句の多くは折に触れて私が愛誦してきたものです。

読んでくださった方の心に響く鑑賞を一句でも多く書いていきたい。

そんな思いで365日、365句をお届けします。

 

「日々の記」は不定期更新です。

日頃の活動やお知らせ、日常の出来事を気ままに綴っていますので、こちらも

お楽しみいただければ嬉しいです。

 

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思ひあふれて空澄めり水澄めり    黛 まどか

 

(おもいあふれて そらすめり みずすめり)

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空が澄んで、水が澄む。秋の天地はとても大きくて、すみずみまで澄み渡って

ゆくような心地がする。そんな秋の気に触れて今思いがあふれる。

泉のように湧き上げてくる思い。どんな思いがあふれたのだろう。

その思いがどこか喜びのように思えるのは、「空澄めり」「水澄めり」という秋という

季節への讃歌を句の底に感じるからかもしれない。

「あふれ」、「澄めり」という動から静への言葉の連なりにも清潔なものがある。

 

 

2010年10月28日

editor's night

 アンチヘブリガンズ.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は通称「四季の会」の集いの日。場所は神保町の「アンチ・ヘブリンガン」。

某出版社の元同僚の集いで、今はみんな違う職場になったけれど

私をのぞいて今もみんなバリバリの編集者たち。

不思議と引き合うものがあって、自然発生的に「もうそろそろ~」という感じで

集まっては話の尽きぬひとときを過ごす、私にとって元気をもらえる大切な時間です。

今日もいつものようにあっという間に時が過ぎて、まだまだ話し足りない感じ。

 

春菊パスタ.jpg 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと食べ途中ですけれど、今日の一押しの春菊のパスタ。

少しほろ苦くて、口の中で春菊の香りがふわっと広がる

なんとも大人な味でお薦めです。みんなのアドバイスで花瓶を添えて撮影。^^

 

それからちょっと面白いこともありました。

なんとお店の中で出身校の校歌のメロディーを聴いたんです。

これには思わず耳を疑いましたけれど、音の出所は隣のテーブルで

ピアニカを弾いていた女性。私が急に振り向いたので、「もしかして・・・・」

「あっ、そうです私も」という感じで同窓であることが判明。

でもこんなことって初めて。その校歌は私が高校時代から何度となく歌った

國學院の校歌。そしてその女性はエッセイストの石田千さんという方。

東都六大学野球で國學院が優勝したとかで、お祝いで演奏していたのだそう。

なんとも面白くて不思議な出会いでした。

 

四季の会、次に会うときはもう冬ですね。

 

 

 

 

くちびるを出て朝寒のこゑとなる    能村登四郎

 

(くちびるをでて あさざむの こえとなる)

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「朝寒」は朝方に感じる寒さのこと。起き抜けの部屋の空気や窓を開けたときの

ひやりとした風に、冬が近づいていることを感じる。

この句は、自分の声に冬の気配を感じた。真冬のように吐く息が白くなるほどでは

ないけれど、確実に冬へ向おうとしている秋と冬のあわいにある寒さ。

いつものように発した一語にその瞬間の移ろいが捉えられているのだが、

「くちびるを出て」の言い出しがなんとも巧い。ありありと実感を伝えてくれる。

 

 

2010年10月27日

 

帰るのはそこ晩秋の大きな木    坪内稔典

 

(かえるのはそこ ばんしゅうの おおきなき)

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関西では木枯し一号が吹き、北海道では初雪と一気に冬の装い。

今年の秋は駆け抜けるように過ぎていきそうです。

「~年以来の」という真夏日や早い冠雪の気象ニュースが自然の警告のようにも

聞こえます。人がいなくなって、ふたたび地球が緑に覆われて新たに再生してゆく

そんな時が来るのもそう遠い未来ではないのかもしれません。

人は地球を消耗させすぎましたから。

 

今は晩秋。行く秋を惜しんで、冬の訪れを身に感じる季節。

帰るのはそこ、というのはずーっと同じ場所で帰りを待っていてくれたかのような大きな木。

「晩秋」がとても心に響いてくるのは、人生の季節をその言葉に重ねるからだろう。

晩秋の大きな木。そこには羽をたたむ大きなやすらぎだけがある。

だからこそ、そこに帰ってゆこうとするのだ。

晩秋の大きな木。このゆるぎない存在を、誰もが持っているのだろうか。

 

 

2010年10月26日

句会初日

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今日はすぎなみ詩歌館の「やさしい俳句講座」の句会初日。

はじめての仲間とのはじめての句会は、数え切れないほどの句会を

経てきた今でもやはり新鮮で心が引き締まります。

今回は兼題の「薄」と当季雑詠の2句出句。3句選でその中から一番

気に入った句を特選として選んでもらいました。

 

句会は出句→清記→選句→披講→名乗り・点盛り→講評という大きな流れがあります。

この流れをスムーズに粛々と進めていくことによって、句座に緊張感と絶妙な間合が

生れるのです。まずはこの流れに慣れることが大事。

みなさん初めてのわりには、思いのほかすんなりと慣れてくださったので一安心です。

最後は、全句を講評して終了。

受講生の作品は載せられませんが、なかなか筋がよくて、ハッとさせられる作品にも

出会うことが出来ました。これからが楽しくなるような句会の幕開けにこころが満たさ

れた一日でした。次回は講義とミニ句会です。

 

写真はレディセツという名の薔薇。むらさき色はさることながら、その名に惹かれて

買いました。名前が花につけられるって素敵。しかもプリンセス~みたいな名前ではなく

「セツ」という響きがなんとも古風で気に入っています。

 

 

 

露の玉強き光となつて消ゆ   名取里美

 

(つゆのたま つよきひかりと なってきゆ)

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大気が冷えると、草の葉の上に露が降りる。

びっしりと葉についた露の玉がくっついて大きな玉になったりしながら転がり落ちてゆく。

露の玉が消えるときの光。

強き光となって消えてゆくという作者の捉えた一瞬の光は

露の玉を詠みながら、すべての尊いものの命に繫がっているようにも思う。

消えゆくものが放つ一瞬の光は、とても美しい。

 

 

2010年10月25日

薄紅葉

栃本関所.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

週末から俳句の会で出かけていた秩父より戻ってきました。

写真は栃本関跡からの眺め。

栃本関は江戸幕府が中山道と甲州街道の間道である秩父往還の通行人を

取り調べるために設けた関所で、信州路と甲州路の分岐点でもあります。

山の上の方は、うっすらと紅葉が始まっていました。

土地の人が言うには明日からぐんと冷え込むとのこと。

一気に山々の紅葉が深まりそうです。

 

秩父吟行記は後日、作品とともに紹介したいと思います。

 

 

 

お知らせ♪

椿の実.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弾けて実がこぼれそうになっている椿の実。

自然の造形は、本当に美しいですね。

 

本日は「俳句界」11月号の発売日です!!

「PICK UP話題の新鋭」にインタビュー記事が8ページにわたって

掲載されていますので、ご高覧いただけると嬉しいです。

 

特集は「怪物 高濱虚子」。サブタイトルが「ついに実現!虚子の曾孫座談会」です。

なんだかこれは買ってみようかな、という気になりませんか??

 

 

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梨食うてすつぱき芯にいたりけり   辻 桃子

 

(なしくうて すっぱきしんに いたりけり)

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梨をまるごと齧るということはあまりないけれど、「すっぱき芯」の味には覚えがある。

この句は皮をくるりと剥いてそのまま齧って食べたのだ。

そして最後にすっぱい芯にいきあたった。

梨という果実を余すことなくこの句は言い得ていて、妙に納得してしまう。

梨というとその甘さや瑞々しさに重きを置かれた詠み方がされるが、そういう一切の

概念を排した対象の捉え方が実に新鮮。

「すつぱき芯」は文字通りの芯でもいいが、心理的な酸っぱさと捉えてみても

それはそれで面白い。

 

 

2010年10月24日

 

花薄風のもつれは風が解く   福田蓼汀

 

(はなすすき かぜのもつれは かぜがとく)

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花薄は穂が出て花の開いた薄。

穂のところが少しふわふわとして、日のひかりを明るく透す。

風に吹かれてもつれた薄を、つぎの風がやさしくほぐす。

「風」のリフレインが心地よく、表現の巧さには脱帽するが、

人の手の及ばぬ自然の摂理をも感じさせてその懐は深い。

― 風のもつれは風が解く ―

読むたびに、薄を渡るさわさわとした風の音が聞こえる。

 

 

2010年10月23日

秋麗

 

norako.jpg 

 

 

 

 

 

 

 

 

久々の秋晴の空ですね。

洗濯日和の爽やかないい一日になりそうです。

ついついどこかへ出かけたくなってしまいますが、

今日は溜め込んでいる仕事を頑張らないと。

 

早く仕事やれ~って野良も言ってるみたいですし。

 

みなさま、よい休日をお過ごしください。

 

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渡り鳥はるかなるとき光りけり    川口重美

 

(わたりどり はるかなるとき ひかりけり)

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越冬のために北方から渡ってくる鳥たち。

一羽ずつではなく、大抵は群れで移動してくるので、秋の空を眺めていると、

遠くでも渡りの鳥たちの姿を見つけることができる。

「はるかなるとき光りけり」

渡り鳥の姿が、尊い光りのように描かれていてとても印象的な句だ。

声に出して読んでみて欲しい。韻律が実に美しく響いてくることがわかる。

作者の言う「はるか」は単純な距離の遠さだけではない。

手にいれることの出来ないものへのこころの距離でもある。

 

目つむれば秋の光は地より湧き

泳ぐ身をさびしくなればうらがへす

妙に深いソファー、時計が止まつてゐる

 

つねにどこかに寂しさを湛えているような重美の句に惹かれる。

渡り鳥の句もそう。

25歳の若さで命を絶った作者。命をつなぎとめるかのように詠まれた一句一句が

読むものに輝きながら立ち上がってくる。

 

 

2010年10月22日

 

栗飯のまつたき栗にめぐりあふ   日野草城

 

(くりめしの まったきくりに めぐりあう)

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栗の美味しい季節になった。

栗を使ったスイーツもたくさん出回っていて魅力的だけれど、

栗そのものの美味しさを味わえる栗飯がやっぱり一番贅沢だ。

ほくほくした栗の食感とやさしい甘味。家庭の秋の味。

季節の贈り物をいただく、という心の贅沢でもある。

 

「まつたき栗」とは完全な姿の栗。つまり、形が崩れていない栗のこと。

日常のささやかな贅沢に発見した、これまたささやかな贅沢。

ごろんと入っていた大きな栗に子供のように喜ぶ顔が見えるようだ。

 

 

2010年10月21日

 

雨粒がさそふ雨粒石榴の実    由季

 

(あまつぶが さそうあまつぶ ざくろのみ)

 

 

 

 

寂しいと言いわたくしを蔦にせよ   神野紗希

 

(さびしいといい わたくしを つたにせよ

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この句を読むと、わたしはいつも宮崎駿のアニメに出てくるような印象的な目をした女の子の

顔を思い出す。例えば「天空の城ラピュタ」のシータや「もののけ姫」のサンの顔。

話の内容は全然違うのだけれど、どこか不器用で、うまく思いを伝えることが出来なくて、

でも大切な人を守りたい、というようなもどかしさがそう思わせるのかもしれない。

たぶん、大人になりきってしまったらこうは言えない。

「蔦にせよ」と作者は呼びかけているけれど、それは心の中の声。

「寂しい」と言ってくれれば、私はあなたを守ってあげることが出来るのに。

それでも「蔦」の一語は切なく響く。

切なく思うのは、たぶん大人になりきってしまったから。

 

 

 

2010年10月20日

 

後の月吹かれてすこし歪みゐる   由季

 

(のちのつき ふかれてすこし ゆがみいる)

 

 

 

麻薬うてば十三夜月遁走す   石田波郷

 

(まやくうてば じゅうさんやづき とんそうす)

 

今日は十三夜。

旧暦の九月十三日にあたり、旧暦八月十五日の十五夜(仲秋の名月)の

後の月を愛でることから「後の月」ともいいます。

十五夜は中国で行なわれていた中秋節の月見の風習が日本に伝来したもので、

中国では今も月餅を食べながら月見の宴を盛大に行なっていますが、

十三夜を眺める風習は日本独自のものです。

十五夜、十三夜はそれぞれ供えるものにちなんで芋名月、栗名月(豆名月)とも

いいます。月を愛で穀物を供えて収穫に感謝するお祝いでもあったのです。

 

江戸の遊里では十五夜の月見をしたら十三夜も同じ場所で月見をしないと

「片見月」といって縁起が悪く嫌われたそうです。ですから、十五夜を遊里で

すごした人は必ずまた十三夜にも足を運ばなくてはいけない。

なかなか上手いことを考えるなと思いますが、とっても風流で粋(いき)ですね。

遊里でなくても、どちらも愛でるという対を重んじる心がそこに感じられます。

 

十五夜は愛媛の松山で無月の空を仰ぎました。

十三夜は東京。雲が切れてくれるといいのですが。

 

病床で詠まれた波郷の句。

麻薬は痛みを抑えるためのモルヒネ。

朦朧とする意識の中でとらえた十三夜の月が壮絶です。

 

 

2010年10月19日

 

秋天や馬頭観音玻璃囲ひ   由季

 

(しゅうてんや ばとうかんのん はりがこい)

 

 

日本のセーヌ ?!

 

隅田川1.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

吟行で人形町界隈を歩いてきました。

半蔵門線に乗って水天宮前で下車し、人形焼で有名なお店「重盛」の前から

商店街を通って明治座、浜町公園の方へと足をのばします。

初めて訪れましたが、老舗が多く、美味しそうな食べ物のお店が軒を連ねているので、

一つ一つ立ち止まっていて、なかなか先へ進めません。

人形焼、甘酒、漬物、朝市の野菜、せんべい屋、たい焼き屋。。。。。

俳句そっちのけでしばし楽しみました。甘酒は甘酒横丁という通りがあります。

 

明治座の近くで、勧進帳の弁慶の像を見つけました。

この地は江戸三座のうちの中村座と市村座が芝居小屋を立てていたところで、

江戸歌舞伎発祥の地とも言われているのだそうです。

人形町の名前の由来は同時にさかんだった人形浄瑠璃の職人さんたちが

ここに多く住んでいたところから来ていることもわかりました。

 

浜町公園を出て、隅田川にかかる橋を渡ると江東区です。

句会は芭蕉記念館で。

写真は橋から撮った隅田川の遊覧船です。

「隅田川は日本のセーヌ」と同行の仲間がいいます。

 

やっぱり景観はセーヌに及ばないけれど、

川は美しくゆるやかに流れていました。

 

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秋晴のゆるむことなき一日かな   深見けん二

 

(あきばれの ゆるむことなき ひとひかな)

 

雲一つない秋晴の空。青く澄んで高くどこまでも広がる空。

秋の空は変わりやすいので、晴れていてもこの句のような

澄み渡った空に出会えることは少ない。

それにしても「ゆるむことなき」とは上手い表現だ。

秋晴そのものを詠みながら、一句全体に清澄な緊張感を湛えている。

「一日かな」はそんな秋空と出会えた感動の喜び。

 

雲一つない秋晴の空に出会えると、かならずこの句をくちずさむ。

そうすると空と心が通じたように思えるから不思議だ。

昔からそうだったけれど、詩歌の力はすごいと思う。

普通に話しても通じないものを、うたを詠うことによって、

閉ざされた扉が開かれる。それは現世に限らず、

神も人間も森羅万象すべてのものに対して。

 

俳句を詠む、とは詠う(うたう)こと。

今改めて書く句ではなく、詠う句でありたいと思う。

 

 

2010年10月18日

 

秋の天より金の羽根銀の羽根    由季

 

(あきのてんより きんのはね ぎんのはね)

 

 

おめでとう♪

 

石榴2.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

日を受けてつやつやと赤く輝いている石榴の実。

週末は、鎌倉にある西御門サローネという邸宅で親友の結婚式でした。

ここは作家・里見弴の旧邸で、現在は鎌倉市重要景観建造物に指定され、

サロンとしても使われているようです。

その庭にあった立派な石榴の木。

 

空もふたりを祝福しているかのような、

本当に気持のいい秋晴の一日でした。

気がついたらもう20年以上の付き合いになる友。

そのウエディング姿はやっぱり感慨ひとしおでした。

もう家族のような思いで、最後はうれし泣きです。

たくさんたくさん倖せになってね。

 

 

西御門サローネ 1.jpg 

 

 

 

 

 

 

 

 

うしろの三人は小学校からの親友、リサ&ミサト。

新婦、とっても綺麗でしょ。

新郎はサッカー日本代表の長友選手にかなり似てます^‐^

(ジュンジくん、勝手に書いてごめんね。。。)

 

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流星も入れてドロップ缶に蓋    今井 聖

 

(りゅうせいも いれてどろっぷかんに ふた)

 

ドロップ缶という響きがとてもなつかしい。

子供の頃、ドロップ缶を手に持っているだけでも

何か特別な気持がして嬉しかったのを思い出す。

缶にドロップがあたってガチャガチャと音を立てる感じや、

取り出し口の丸い穴から中身を幾度も覗いたこと。

取り出してドロップの色を選ぶ楽しさ。

半透明で一つ一つが宝石みたいな形をしていた。

蓋も嵌め込み式のペコッとしたもので、きちっとはまりすぎると

開けられなくなったりもした。

そんな一つ一つがとてもなつかしい。

サクマのドロップと覚えていたけれど、正確にはサクマドロップと

サクマ式ドロップの二種類あって、缶の色も赤と緑と違っていた。

私は赤色の缶を覚えているから、サクマ式ドロップの方だったんだなあ。

 

流星をドロップ缶に入れられたらどんなにか楽しいだろう。

きっと缶の中でキラキラしながら素敵な音を立てるに違いない。

 

 

2010年10月17日

 

銀漢や一生分といふ逢瀬     由季

 

(ぎんかんや いっしょうぶんというおうせ)

 

 

 

眠るとき銀河がみえてゐると思ふ   石田郷子

 

(ねむるとき ぎんががみえて いるとおもう)

 

実際にそういう経験はないけれど、

でも、なんだかこの感じは分かる。

眠る前に見た夜空の景がまなうらに残って

明かりを消した暗闇の中で目を閉じると

銀河がふたたびまなうらに浮かぶ。

屋根の上には空高く銀河が広がっている。

似たような句に

 

眠りても旅の花火の胸にひらく 大野林火

 

という句があって、眠るときの景の余韻というと

この句を思い出すが、林火の句は純粋に花火の

美しさと旅の余韻の高揚が美しく詠まれていて、

すこし趣は異なる。

「銀河」の句はおそらく高揚ではない。

むしろ作者と銀河とのしずかな対話のように感じる。

それは「眠りても」という一回性に対して「眠るとき」に普遍性を

感じるからだろう。

 

銀河は天の川のこと。

秋になるとその輝きも一層目立つようになるので、秋の季語になっている。

伝説では会いたき人と人との間を隔てるという銀河。

作者のなかにもそんな銀河の流れが見えているのかもしれない。

 

2010年10月16日

 

まつはりて来る秋蝶をそのままに   由季

 

(まつわりてくる あきちょうを そのままに)

 

 

 

秋蝶の驚きやすきつばさかな   原 石鼎

 

(あきちょうの おどろきやすき つばさかな)

 

秋蝶は秋になっても飛んでいる蝶。

秋に飛んでいる蝶は紋白蝶やムラサキシジミなど小ぶりな蝶が多いので、

「つばさ」というと少し大袈裟なようにも思えるが、

そこに作者の捉えた対象の存在の大きさが表現されているのだろう。

秋は空気が澄んでいるので、人も物音に敏感になる。

「驚きやすきつばさかな」にはそんな秋の気配の中を飛んでいる

蝶の姿が鮮明に描かれている。

人影や少しの風にも敏感に反応して飛び立ってゆく蝶。

「驚きやすき」という言葉に、作者の秋蝶に寄り添う心が

見えるようにも思う。

 

 

2010年10月15日

 

桔梗のきつぱりと風通しけり    由季

 

(きちこうの きっぱりとかぜ とおしけり)

 

 

 

桔梗や男も汚れてはならず   石田波郷

 

(きちこうや おとこもけがれてはならず)

 

桔梗は秋の草花の代表的なものの一つ。

「ききょう」、または漢字を音読みして「きちこう」と読む。

青紫色で星形の凛とした花を咲かせる。

 

男も汚れてはいけない、と波郷は言う。

「汚れ」を「よごれ」と読むか「けがれ」と読むか。

鑑賞を書くにあたって読みを改めて考えてみたが、やはり自然と

そう読んでいるように「けがれ」とした。

「よごれ」では何だか文字通りそのままのような気がするからだ。

波郷はもっと精神的な清らかさを言っているのだろう。

どんな状況にあっても精神が荒んでしまってはいけない。

それは男も同じである、と。

 

「きちこう」という音の潔さが、心の気高さとよく響きあっている。

 

 

2010年10月14日

 

さざなみや竜胆の紺ゆるませて   由季

 

(さざなみや りんどうのこん ゆるませて)

 

 

芭蕉

芭蕉1.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

角川庭園の入り口にある芭蕉の木。

台風などの雨風にあたると、葉が破れて垂れ下がり

哀れな姿になりますが、まだ青々と美しい緑を見せていました。

花はなかなかにグロテスクで、中国原産だそうですが、

熱帯の植物を思わせます。

長く垂れ下がった花の付け根にはバナナの形をした小さい青い実が

ついていますよ。

いつみても、変わった姿の木です。

俳人松尾芭蕉の名前の由来となったこの芭蕉の木。

江東区の芭蕉記念館の入り口にもあります。

 

 

 

りんどうの露のひとつぶ水の星    宇井十間

 

(りんどうの つゆのひとつぶ みずのほし)

 

水の星はわたしたちが住む地球のこと。

地球が青いということは、初の宇宙飛行に成功した

宇宙飛行士ガガーリンが伝えて有名になったが、

地球は青い水の星なのだ、と今改めて思う。

 

りんどうにのった一粒の露。朝露の汚れない光の粒。

その光の粒から、水の星へと飛躍することによって、

普段意識することのない世界をこの句は見せてくれる。

句に流れるしんとした不思議なしずけさ。

「りんどうの露」から感じるひんやりとした空気が

より一層そのしずけさを際立たせる。

今であって、今でない世界。

そんな世界が描かれているようにも思う。

 

 

2010年10月13日

 

花束の中の秋草退職す   由季

 

(はなたばの なかのあきくさ たいしょくす)

 

 

 

秋草の近づけばみな花つけて    岩田由美

 

(あきくさの ちかづけばみな はなつけて)

 

「夏草」というと青々と茂る夏の草のことだが、

「秋草」は秋の草ではなく、秋に咲く草の花のこと。

秋草という言葉だけを見ると間違いやすい。

季節によって花にも風情があるが、夏は木の花、秋は草の花という感じ。

 

秋は野原や道端の名もなき草も花を咲かせる。

それは細やかで小さな花。

「近づけばみな」というのはその通りだなあと思う。

見る人がいなくても秋草は変わらず咲いているけれど、

気が付いてくれる人がいれば、きっと嬉しいに違いない。

 

 

2010年10月12日

 

誰がこぼしゆきし団栗路地裏に   由季

 

(たがこぼしゆきしどんぐりろじうらに)

 

 

やさしい俳句講座

 

今日より俳句講座が始まりました ♪

杉並区の角川庭園・幻戯山房「すぎなみ詩歌館」を会場に行なう

初心者向けの俳句講座です。

 

杉並区と詩歌館を管理するNPOが運営・募集している講座で

毎回たくさんの申し込みがあるため抽選があるそうです。

「3回目のチャレンジでやっと講座が受けられました!」という

受講生の方の嬉しそうなお顔が印象的でした。

私は第5期募集の講師を務めます。

今日は初日なので、俳句についてのかんたんな講義と

句会の進め方についてのお話をしました。

再来週からはいよいよ句会がスタートです。

どんな句に出会えるのか今から楽しみです。

 

女郎花1.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すぎなみ詩歌館の庭に咲いていた女郎花。

この中にかまきりが隠れているの、わかりますか?

 

「すぎなみ詩歌館」はどなたでもご利用できます。

四季折々の草花を楽しめる日本庭園があり今は秋の七草が美しく咲いています。

散策に、句会に、是非訪れてみてください。

(上の「すぎなみ詩歌館」をクリックすると詳細が見られます)

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団栗の二つであふれ吾子の手は   今瀬剛一

 

(どんぐりの ふたつであふれ あこのては)

 

団栗を二つ乗せただけでいっぱいになってしまう吾が子の小さな手。

「二つであふれ」に親である作者の新鮮な驚きと、小さな存在に対する

愛おしさが溢れている。

ふたつであふれあこのては

「あ」のリフレインもやさしく聞こえて来る。

 

吾子の手に乗せた団栗。それは命の力が詰まった実でもある。

芽を出してやがて大きな木へと成長する、そんな命の響き合いをも

感じる。

 

2010年10月11日

 

立つ風にすこし遅れて野紺菊   由季

 

(たつかぜに すこしおくれて のこんぎく)

 

 

 

歯を磨く東京の朝体育の日   竹岡佐緒理

 

(はをみがく とうきょうのあさ たいいくのひ)

 

今日は国民の祝日、体育の日。

東京オリンピックの開会式の日を記念して作られた祝日で

2000年から10月の第二月曜日となった。

連休を作るための改定だが、体育の日は10月10日と覚えているので、

一日ずれると、こころなしか変な感じがする。

 

この句は「東京の朝」がとてもいい。

つまり、日頃の生活圏は東京ではないということだ。

東京に住んでいたら当たり前で、こんな風には詠まない。

久し振りに上京して迎えた朝。

歯を磨くという日常の事柄から、日常とは違う一日のはじまりを巧みに

描いている。体育の日という健康的な響きもまた理屈なくいい。

 

作者は早大俳研の後輩。俳句甲子園で活躍して、在学中は俳研の幹事長も務めていた。

今は帰郷して仕事に就いているという。昨日のため(?)に久々に上京してきてくれた。

 

 

2010年10月10日

 

秋天となりゆくちから鴟尾光る   由季

 

(しゅうてんとなりゆくちから しびひかる)

 

 

オール早慶俳句戦!!

浅草寺.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

「慶大俳句」VS「早大俳研」の現役・OB入り混じっての句会に行ってきました。

現役のときに各俳句会の顧問の先生も招いて大きな早慶合同句会(通称俳句の早慶戦)

を開催してから、ちゃんと企画された早慶戦はおそらく約10年ぶり。

 

浅草吟行→句会→神谷バー(懇親会)   

という流れに午前中の句会が終ってからかけつけました。

早めに着いたので浅草寺に向いましたが、三連休ということもあってものすごい人出。

雨上りの暑さと人いきれに観音様にお参りをしてすぐ仲見世も見ずに横道に抜けました。

吾妻橋から見たスカイツリーは、また一段と空へ近づいたようです。

 

句会の結果は・・・・・

 

僅差で慶大俳句の勝利。  

俳句は勝ち負けじゃないけど、負けるのはやっぱり悔しいので

来年リベンジしたいですね。

 

懐かしい顔にもたくさん会えて、新たな出会いもありました。

ともに互いの学生時代を知っているということが、卒業してずいぶんとたった今から見ると

とても大切なものに思えます。このつながりが自分の財産の一つであることを

改めて感じた句会でした。

この日のためにたくさん動いてくれた幹事のてふちゃん、いぶきちゃん、どうもありがとう!!

 

暗くて画像がいまいちですが、記念の一枚。

早慶戦2.jpg

 

 

 

 

 

 

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秋の雨しづかに午前をはりけり   日野草城

 

(あきのあめ しずかにごぜん おわりけり)

 

休日の雨。

どこにも行かず久し振りに家で過ごす一日。

 

コーヒーを入れて、読みたかった本をひらく。

外には降り続く雨の音。

何にも邪魔されない、しずかな時間。

 

「午前」という時の把握が、そんな情景を想像させる。

 

 

2010年10月 9日

 

秋冷や打てば文字出るキーボード   由季

  

(しゅうれいや  うてばもじでる  きいぼうど)

 

 

秋の雨

吹き硝子.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

秋の日は釣瓶落とし。

よく言ったもので、暮れるのが日一日と早く感じられます。

こんな雨の日は特に。

束の間の爽やかな季節は毎日晴れていてほしいのですが、

一雨ごとに冬に近づく気配を感じる秋の雨は

淋しくなるので苦手です。 

 

誕生日に飾った花。まだ元気なものを摘んで飾り変えました。

吾亦紅はドライフラワーにしてしばらく楽しめそうです。

 

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秋冷やモローの白き一角獣    天野小石

   

(しゅうれいや  もろーのしろき  いっかくじゅう)

 

ひんやりと身につのり来る大気とモローの描く一角獣。

画家ギュスターヴ・モローは聖書や神話を題材に精神性高い

美しい絵を描いた。

 

――手に触れるものも、目に見えるものも信じない。

目に見えないもの、ただ感じているものだけを信じている――

                            ギュスターヴ・モロー

 

モローの言葉はその描かれた作品の数々を見れば、とてもよく分かる。

 

パリのクリュニー中世美術館に有名な一角獣のタペストリーがある。

モローの一角獣はそのタペストリーに触発されて描かれたという。

六枚のタペストリーすべての織りに暗示的な意味がたくされていて、

その美しさは見るものを魅了するが、タペストリーの一角獣はモローのそれと

比べると思いのほか可愛いらしい。

 

モローの一角獣はモローのものとして凛と幻想的な魅力を放っている。

秋冷がひたと寄り来るように、見ているうちにふっと心の中にまで入ってくるようだ。

 

一角獣 モロー.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年10月 8日

 

澄む水と揺れをひとつにしてゐたり   由季

 

(すむみずと ゆれをひとつに していたり)

 

 

 

 

十棹とはあらぬ渡しや水の秋    松本たかし

       

 (とさおとは あらぬわたしや みずのあき)

 

「秋の水」は秋に重点があるが、

「水の秋」の重点は水。

どちらも澄んだ水に秋を感じているが、ニュアンスの違いがある。

 

前者は澄み渡った秋の清らかな水そのもので、

後者は清涼感溢れる水や水辺から感じる秋の風情。

大景から小景へと、小景から大景への視野の移行に違いを感じる。

 

この句は断然「水の秋」。

「秋の水」では川辺の風情が消えてしまう。

 

「十棹とはあらぬ渡し」がなんとも上手い。

舟頭が棹で川底を突きつつ舟を進めるが、十も突かぬほどで向こう岸に

ついてしまうほど川幅がせまいという、そんな渡しの情景を無駄なく

簡潔に表現している。表現にまで爽やかさを感じる句だ。

さわさわと川辺に揺れる芒や荻、水のきらめき、清涼な風。

舟上で感じた秋があますことなく詠まれている。

 

 

2010年10月 7日

 

新涼や干潟に残る波のあと   由季

 

(しんりょうや ひがたにのこる なみのあと)

 

 

秋天

秋空.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は吟行で葛西臨海公園へ。

秋の空って、本当に高い。

地球がひとまわり大きくなったような心地がします。

干潟をたくさんの鳥たちが飛び交っている光景が

まるで光の粒を散りばめているかのようで印象的でした。

 

夕方からは、仕事の打ち合わせ。

今、とても大きな俳句の仕事に携わっていて、

俳人として勉強になることばかりです。

まだ紹介は出来ませんが、完成した暁には

お知らせしたいと思っています。

 

 

 

秋の水ひかりの底を流れをり   井越芳子

 

(あきのみず ひかりのそこを ながれおり) 

 

秋になると、大気だけでなく次第に水も澄んでゆく。

川や池や湖。 泳ぐ魚影まではっきりと見える。

 

実景としてはこの秋の水は川だと思う。

清らかで滑らかな秋の川。澄んだ水が川底まで光を通している。

 

秋はひかり。

実景から目を離せば、秋そのものの底を流れてゆく水。

そんな静かな光の流れを感じる。

 

 

2010年10月 6日

 

さびしさのいつしか薄れゑのこ草    由季

 

(さびしさの いつしかうすれ えのこぐさ)

 

お知らせ♪

花水木の実.JPG

 

 

 

 

 

花水木の実

秋になると赤くてかわいらしい実をつけます

 

 

10月25日発売の月刊「俳句界」11月号「PICK UP話題の新鋭」

にインタビューが掲載されます。 インタビュアーは栗林浩氏です。

 

趣味のこと、季語のこと、結社のことなど話しています。

11月号は冬の季語付録も付くそうです。お買い得です!!

 

ご購読は書店、または「俳句界」へ直接お申し込みください。

 

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葛の花来るなといつたではないか   飯島晴子

 

(くずのはな くるなといったではないか)

 

山野に咲く葛の花。 街中ではあまり見かけることがなく、

葛の花といえば、

 葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。 この山道を行きし人あり

 の釈迢空の歌が思い出されるように、どこかさびしい山路の風情がある。

 

葛の花の咲く頃になると思い出すこの句にも、胸をきゅっとつかまれるような

寂しさがある。

「来るなといつたではないか」

振り返りつつこの言葉を投げつける、厳しくもどこかさみしげな表情を思う。

越えて来てはいけない目に見えぬ一線がそこにあるかのよう。

 

「見てはいけない」「来てはいけない」という約束を

いくたびも破ってきたいにしえの物語にこの句もつながっている。

だからこそ、この句には一句の奥に言い知れぬ切なさがあるのだと思う。

 

 

2010年10月 5日

お知らせ♪

金木犀.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これまで」の記事をアップしました。

また随時、追加・更新していきたいと思います。

 

よろしくお願いいたします。

 

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あまさずに秋の来てゐる岬かな    由季

 

(あまさずに あきのきている みさきかな)

 

 

 

秋の雲立志伝みな家を捨つ    上田五千石

 

(あきのくも りっしでんみな いえをすつ) 

 

天高く広がる秋の雲。

空を仰ぎながら、己を顧みている。

 

立志伝とは志を立てて苦悩や葛藤の末に大儀を成し遂げた

歴史上の人物の伝記。

そういう人たちはみな志のために「家を捨つ」という。

「家を捨つ」という言葉が印象的で強く響くが、

家とはつまり故郷のことだ。

 

現代でも同じ思いを抱いている人は多くいるだろう。

作者もその中のひとりであった。

ただこの句からは、何かを為したいということだけではないもっと強いものを感じる。

それは、成功して故郷に錦を飾るというものではなく、

作者の中にある「風狂」へのあこがれのようなものなのかもしれない。

 

空高く広がって、はるか彼方にまでもたなびいているような秋の雲。

立志伝とその高き広がりが響き合うが、やはり「秋」の一語が切なさを誘う。

 

 

2010年10月 4日

 

金木犀水辺のごとく光りけり   由季

 

(きんもくせい みずべのごとく ひかりけり)

 

 

晴れ女

テラス1.jpg 

 

 

 

 

 

 

 

俳句大会は無事終了しました。

お世話してくださった方々、ありがとうございました&おつかれさまです。

 

予報は午後から雨でしたが、終日お天気崩れず。

さすが晴れ女の母。

 

来年の春の大会は、講演に「山暦」主宰の青柳志解樹先生をお招きします。

世田谷区のみなさま、どうぞ奮ってご参加ください!!

 

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見えさうな金木犀の香なりけり   津川絵理子

 

(みえそうな きんもくせいの かなりけり)

 

この数日でどこからともなく微かに金木犀の香を感じるようになった。

花は見えなくても金木犀が近くにあることをその香が教えてくれる。

 

視覚よりも嗅覚で咲いていることに気づく花がある。

春は沈丁花、夏は梔子の花。

秋は金木犀だ。

香りを辿って花にいきあたるのはとても楽しい。

 

もうまもなく、その香は「見えさうな」ほどになる。

 

 

2010年10月 3日

 

露草のひらきて星のつめたさに   由季

 

(つゆくさの ひらきてほしの つめたさに)

 

 

俳句大会

天使.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は世田谷の俳句大会の日。

お天気、夕方まで持ちこたえてくれるといいな。

それでは、これから行ってきます。

 レポートはまたのちほど。

 

 

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露草も露のちからの花ひらく   飯田龍太

 

(つゆくさも つゆのちからの はなひらく)

 

しっとりと濡れているような瑠璃色の花をひらく露草。

朝の濡れた空気のなかで、その色はもっとも美しくかがやく。

徳富蘆花は露草の美しさを喩えて言う。

 

つゆ草を花と思ふは誤りである。

花では無い、あれは色に出た露の精である。

                     『みみずのたはごと』

 

露草というはかない名前をつけられたその花も、

露ほどのはかないちからで花を咲かせている。

「露のちから」とは、はかなさに秘められた強さだ。

 

そして、それは露草のいのちそのものを言いとめている。

 

2010年10月 2日

 

爽やかやからだにかすかなる浮力   由季

 

(さわやかや からだにかすかなるふりょく)

 

 

馬事公苑.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

秋晴れの空。

馬に思いを馳せていたらどうしても馬の姿が見たくなって、

近くの馬事公苑まで歩いていってきました。

 

ちょうど大学対抗の馬術競技会がひらかれていて、

いつもより賑やか。

 

ああ、馬の匂いがする。

 

あたりまえですが、本や映像と現実との違いって

何よりもこの匂いなんだなーと思います。

 

匂いを知ってはじめて、その対象や場所と

本当に出会ったことになるのでしょうね。

 

馬の匂いにはかすかに草の匂いが混ざっていました。

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秋風の馬上つかまるところなし   正木ゆう子

 

(あきかぜの ばじょうつかまる ところなし)

 

疾走する馬とともに、風の中に消えゆきそうだ。

 

秋風に吹かれると、体がふっと軽くなるような心地がするが、

馬上ではことさらそんな感じがすると思う。

視界の高さも広がりも、驚くほど日常とは違う。

風もストレートに感じるだろう。

 

他のどの季節の風でもこの感覚は味わえない。

秋風だからこそ、「つかまるところなし」という

身の透けてゆくようななんともいえないたよりなさを

感じることができる。

 

正木さんの句には、実景を詠みながら、どこか別の世界へと

誘ってくれる力がある。

シンプルな言葉をいかに選んでいかに表現するか。

 

そこに、力の秘密がある。

 

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2010年10月 1日

 

さざなみの果てのみづいろ小鳥来る   由季

 

(さざなみの はてのみずいろ ことりくる)

 

秋日

公園.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は在宅での仕事。

出歩いてばかりいると、片付けなければいけないものが

たまってゆくばかり。

 

ちょっとだけ息抜きに、近くの公園まで。

木々を洩れくる日のひかりは、もうすっかり秋ですね。

 

 

小鳥来るここに静かな場所がある   田中裕明

 

(ことりくる ここにしずかな ばしょがある)

 

帰ってゆくものがあれば、渡ってくるものがある。

秋の空は鳥たちの移動の空。

本能とはいえ、はるか長い道のりをひたすらに渡り来るその姿を

美しいと思う。途中で命を落すものもきっとあるだろう。

 

越冬のために北方より日本に渡ってくる小鳥たちが、

秋の訪れを告げる。

この句にあるのは、作者のサンクチュアリ(聖域)。

「ここ」はどこを思い描いてもいい。森の木陰でも、湖畔のベンチでも。

心の中だっていいのだから。

 

 「静かな場所」とは詩が生まれようとする場所なのだと思う。

 

 

 


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